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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

文部省唱歌

2006年03月23日 | Weblog
 今日は文学的に、まず、与謝蕪村の俳句に目を向けよう。

 菜の花や 月は東に 日は西に (与謝蕪村)

 与謝蕪村:江戸中期の俳人、画家。摂津の人。本姓は谷口、後に改姓。別号、宰鳥・夜半亭・謝寅・春星など。幼児から絵画に長じ、文人画で大成する傍ら、早野巴人に俳諧を学び、正風(しょうふう)の中興を唱え、感性的・浪漫的俳風を生み出し、芭蕉と並称される。著作「新花つみ」「たまも集」など。俳文・俳句はのちに「蕪村句集」「蕪村翁文集」に収められた。(1716~1783)広辞苑より。

 時は、立春を過ぎ、菜の花が咲く頃、春の日は一日ごとに伸びていくのである。この季節は、太陽が沈む前に、月が東から出てくるのである。天空の妙味ととともに、西から東を見渡すスケールを感じさせるに余りある俳句である。菜の花、夕暮れ時、天空のスケールを見事に謳いこんだ作品であり、夏の訪れへの期待が込められていると思う。

 何時ものことではあるけれど前書きが長くなってしまうのである。
 次に「文部省唱歌」「朧月夜」の歌詞を味わってみよう。

 「朧月夜(おぼろづきよ)」  作詞、高野辰之  作曲、岡野貞一

 菜の花畠に 入り日うすれ 見渡す山の端 霞み深し

 春風そよ吹く 空を見れば 夕月かかりて 匂い淡し

 里わの火影も 森の色も 田中の小路を 辿る人も

 蛙の鳴く音も 鐘の音も さながら霞める 朧月夜


 文部省唱歌に心打たれ、「感涙」するようになれば、「ぼちぼち老いぼれの域」に達したと他人を揶揄したことがあったが、最近ではこの種の歌がとても心に浸みる。
 私もやはり、いささか熟年の「センチメンタル・ジャーニー」なのか?。全く、青年老い易く学成り難しである。

 この曲の作詞者、高野辰之氏は長野県豊田村の文学者で、東京音楽学校の教授であった方だという。晩年、長野県長野県の野沢温泉で過ごされ、長野(信州)の自然をこの「朧月夜」謳い込んだのである。

 また、作曲者、岡野貞一氏は鳥取県出身で、東京音楽学校卒業後、同学校教授を経て、文部省唱歌を編集するとともに、多くの唱歌の作曲も手掛けられた。

 「この季節、菜の花畠にいると沈み行く太陽の光がうすれ、見渡す限りの山の稜線は霞が深くてぼやけている。心地よく吹いてくる春風を感じながら空を見れば、夕月が東に顔を出して、淡い春の香りが何とも言えない。

 里の方の民家の灯火も、森の色も、田んぼのあぜ道を辿って家路に向う人も、蛙の鳴き声も、寺の鐘の音もまるで霞んでしまっている朧月夜である」・・・・・とまあ、こんなふうに信州の片田舎の春の夕刻の情景が心に浮かんでくるのである。 素晴らしい、作詞作曲の文部省唱歌である。