昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

Cuando Caliente SHIZUOKA#30

2006年03月03日 | Weblog
 今日は、「静岡新聞」の「ひろば欄」に注目する。どれもこれも素晴らしい一般読者の投稿なのであるが、富士市住在の48歳税理士、男性の方の発言を書き留めておこう。

 題名:政治家選びに検定試験提案

 民主党議員の不祥事を批判して予算委員会をストップさせた与党議員、爆弾発言をしたかと思えば、その後行方をくらまし入院してしまった野党議員、時期を同じくして政倫審で釈然としない答弁をする元国土庁長官、昨年の衆議院選挙で初当選し、真っ先に給与を調べ満面の笑みでインタビューに答えている若手議員を含め、一体政治家になって何をしたいのか、何のためにしているのか心情が全く伝わってこない。
 国益を優先し、政策を打って、具現化するのが政治家ではないのだろうか。このようなことが起こるたび、政治家の常識と行動は一般と乖離していることを実感する。
 しかし、国民は選挙となれば活躍してくれそうな人物を政治家として国会へ送らなければならない。教養や倫理を兼ね備えた即戦力の政治家をどう見極めるか難しいところだ。街頭や集会の当たり前の演説、職歴、学歴は当てにはならない。
 資質とモラルが問われている今、政治家を志す者、現政治家を含めて、活躍したい分野を省庁別科目にして「政治家検定試験」なるものを実施して、資質と適正の向上を図って欲しい。そして、その合否をもって立候補してほしい。優秀で最もふさわしい議員を選ぶために。(全文)

 これは、静岡県人の良識に基ずく率直な提言である。代議士と呼ばれる者は、良識ある国民の見識という物差しで量ればこのくらい重さしかないという評価であることを襟を正して、よくよく考えてもらいたい。

 まして、国会議員などという畏れ多い地位にいる人の言動を国民が見て、「あのお方はたかだかの銭のために右へ行ったの左へ行った」のと勘ぐられない行動を採るとることをプライドとして頂くことは勿論であるが、堂々とした我が身の処し方を国民の前に披露することは、国会議員たる使命であると思う。今回ガセメール事件を巻き起こした民主党の「永田議員」などその軽率ぶりを恥じて自ら腹を召すべきである。「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という有名な諺は日本人なら誰でも知っている。しかし「捨てもせず浮かぶ瀬がある」などと居直られたのでは、「日本人としての道徳観」を百パーセント否定するものである。居直ったところで次は無いのであろうから哀れなものである。彼は、所謂「東大」出の「官僚」上がりのエリート議員と聞いているのであるが、「往生際の悪さは、まさしく霞ヶ関のDNAをそのまま継承しているのである」。いい加減にくたばりたまえ、貴殿はもはや官僚ではあるまい。

 また、今日の「論壇」で今井久雄先生がトリノオリンピックで日本勢の不振ぶりを「若い選手たち」と「役員、コーチ陣」との相克という形で捕らえ、その傾向を永田町の若者達と長老達に対応させて皮肉りながら檄を飛ばしておられるのであるが、老若の調和を再考して、バランスのある社会にしなければならないのであろう。