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ガラスの王子様たちへ

2006年03月04日 | Weblog
日本の高校生、覇気なし 学習意欲・目的…日米中韓で調査 (産経新聞) - goo ニュース

 これではもはや、日本国全体が「国際的ニート・シンドローム(症候群)」状態に陥っている。「勉強や成績」には、とんと無関心・無意欲なのだ。
 成績が良くなりたいという「希望」があるか?という問いに対して、「そう有りたい」と米、中、韓の高校生の7割が答えているのに、日本の高校生は3割だという。
 これこそ、ヒステリー女どもと某教組が共謀して完結させた偉大なる精華であろう。
 「ゆとり教育」を発案した官僚は亡国の徒として、極刑に値することは勿論であるが、最大の過失は「絶対評価」などというチンドン屋並みの「評価基準」を教育の場に持ち込み、そんなものを「正義」などと高らかに謳いあげたことである。

 これがどんな効果を齎(もたら)したかというと、学生たちが益々自分の殻に閉じこもってしまって、努力することは忘れ去られ、「切磋琢磨(せっさたくま)」などと言う言葉はもはや死語と化してしまった感がある。
 教育者(教育界)自身が「メルヘンの中で夢見るシャンソン人形」となり下がってしまっているのだ。

 確かに、地球上に日本一国しかなく、その住民は欲も持たずただぼんやりと過ごしていれば、平和に人生を全うできる。・・・・これも一つの理想郷(ユートピア)であろうが、しかし、悪徳国家がゴロゴロしている現実の中にあって、そんなことが叶うはずも無いのであるが、それを理解できない頭の悪さよ。

 いつまでもこんな教育をしていれば、遠からず「侵略を国是とする中国」に侵略され、略奪の限りを尽くされること必定である。北朝鮮の人々の哀れさを良く観ることだ。自由も言論も民主主義も許されないのである。

 このような軟弱な教育方針は「民主主義」自体を「将来の国民」に放棄させる愚挙である。・・・・・これが、「ヒステリー女どもと無国籍無責任左翼」の目論むものでもある。

 日本の高校生は「級友皆に好かれる生徒」になりたいという、それも実に結構なことであるが、「希望」に「友人関係」を挙げた割合は39.8パーセントで、米、中、韓の中で最低の割合とは、なんという矛盾であろうか。

 日本の高校生像とはせいぜい「携帯電話のメール」に没頭し、「乞食ファッション」に夢中になっている若者をイメージすれば良いとは、甚だしく将来が暗いのではなかろうか。

 一刻も早く「切磋琢磨」させる教育を回復させるべきである。そこから友達を思い尊重しあう心とか、人生の目的意識、愛国心などが芽生えて来るのである。