昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

中禍満々

2006年03月29日 | Weblog
 いや、実は私はこのタイトルを「中禍満=中華饅」と洒落ようと思ったのだが、この意味を中国人に「満中禍」と解釈してもらえないかも知れないと心配するあまり(現代中国語の文法ではそのように表現すべきであろうと思う)、タイトルを「中禍満々」としたのである。これは、『中禍(中国のわざわい)がいっぱい』と、「主語+形容詞」の表現にしたのである。我ながら思うのであるが、しかし、これは確かに「おじんギャグ」である。

 我が愛読誌というのもさまざまである、文芸春秋の「諸君」、産経の「正論」、小学館の「サピオ」、ワックの「WiLL」などである。どれもこれも、「中禍満々」であが、売国新聞などは日本民族に流れる「嫌中マグマ」の切実さが認識できないのだ。日本のメディアというには程遠い存在である。

 「中国観光」などと盛んに叫ばれている昨今であるが、中国の所謂「トイレ」事情なるものを、日本国の親中派のご婦人方は分っておられるのであろうか?日本人でも「男性」ならば、互いの「祖チン」を見比べながら、「この野郎俺よりでかいではないかとか、ざまをみろ、俺の方が立派なシンボルだ」などと見比べながら用を足すのであるが、中国では女性同士でもこのような放尿シーンを強いられるのである。上海であるとか北京では流石にこのようなことはないであろうが、一歩郊外へ踏み出そうものなら、女は女同士お互いの尻を眺めながら排尿、排便しなければならない(プライバシーを保障する仕切りはない)。「なにあんた、もう生理なの?、とかまだ生理がないの?とか声を掛け合うほどの親密な付き合い(こっそり妊娠することも許されない)というような、赤裸々なお付き合いの国柄である。

 中国人の「衛生観念」がどれ程かということも認識すべきである。最近は中国当局も「北京オリンピック」を控えているので、やたらと「衛生、衛生」と衛生的なことを口にするのであるが、トイレの洗面所で食器を洗ったり、同じ場所で便所を清掃したモップを洗っている光景を目にした観光客も多かろう。中国人の衛生観念というのもそのレベルであると認識した上で中国観光を楽しむという「寛容」さが日本人観光客にも求められるのである。

 ところで、今月の「サピオ」も「中禍満々」である『世界を揺るがす中国犯罪白書』とは恐れ入る。以前我が「日記」で幻想皇帝は楊貴妃の墓を改葬するという口実のもとに楊貴妃の骨を粉末にして食べてしまったのではなかろうかと書いた記憶があるがそのように推測するに足る記事が載っているのである。中国人の手に掛れば、死して後も安住の地(墓所)も保障されないのである。
 また、媚中派国会議員といわれる呆れた日本人もいるのであるが、彼らはこのようなことを認識して、中国に諂っているのであろうか。次の選挙では日本人有権者は彼らに明確に「ノー」という引導を渡さねばなるまい。

 また、「WILL」には、日本国国民と皇室にとって聞き捨てならない記事が掲載されているのだが、コメントは次回としよう。