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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

Cuando Caliente SHIZUOKA#49

2006年07月14日 | Weblog
 今日の副題:中国の猿芝居を見破ろう

 久しぶりに静岡新聞ひろば欄に目を向けてみる。

 『日本の安全に不安が募る』浜松市在住KI氏(78歳)の投稿。

 北朝鮮がミサイルを発射してから、聞こえてくる国内外の声を聞いていると、私の心は千々に乱れ、日本の前途に不安感が大きくのしかかってきた。
 日米安保が結ばれ、日本が外敵に襲われた時は、アメリカが守ってくれると日本人は信じてきた。沖縄や本土に米軍基地があっても、日本のためだと思うことにしてきた。
 ところが、今回テポドン2号が発射された時、米国の高官は「アメリカには来ないから迎撃は中止」と命じた。それを聞いた時、日本に来ても迎撃はしてくれないのだと確信した。日本を守るという日米安保など所詮『絵空事』にすぎないと思った。
 防衛庁長官も日本には迎撃の用意はないので、攻撃されても手は出ないと公言している。
 小泉首相を始めとして、政府の高官は日米同盟で日本の安全は保障されているという談話が多かった。国民を騙していたのではないか。
 一部の民間人は、アメリカは日本の基地を極東の最前線として利用するが、日本を守ろうとする意志はないと言っている。
 今回の対応をみるとうなずけるところがある。北朝鮮のなすがままになるのは残念だ。どうしたらいい。(全文)

 今回の北朝鮮のミサイル発射劇の裏の主人公はやはり中国なんだろう。同盟国、実は属国北朝鮮はとことん悪者で宗主国中国の手にもとても負えないという猿芝居に撃って出た。金正日に会うこともせず、よくも説得工作を買って出たものである。世界の恥知らずである。さんざん時間稼ぎをした挙げ句に、ロシアをたらし込んで『非難決議』で決着させる気らしい。こういう、いやらしいやり方を日本の外務省は反面教師として見習うべき所も多かろう。

 今回、アメリカが日本を対北朝鮮制裁決議案強行の表看板にしたという面があったのだろうが、あるべき外交姿勢の予行演習ができたことは、今後の励みにもなるだろう。外交とはかくも奇奇怪怪としたものなのだと思う。日本人も外交における寝技を習得すべきである。

 いつものことではあるけれど話が横に反れてしまった。本題に戻そう。
 戦後、歴代の政権は日本人に日米安保条約を遵守しさえすれば、日本の平和は永久に保障されるかのような『幻想』を与え続け、日本人を乙女が如き純情な国民にしてしまったのは、大きな罪であった。アメリカが無条件に日本国の軍隊となって日本を守るなどと、『真っ赤な嘘』である。安保条約には、日本国の交戦権は(連合国)が剥奪するが、自己の責任において自国を防衛すべしと謳われている。
 自国を防衛する気がなければ、侵略される責任は日本国民にあって、それを放棄すれば、侵略者の意の儘になって当然のことである。したがって、アメリカは、日本の本土防衛には責任を負わなくても良いのだ。

 未だに、アホな政治家や政党は、集団的自衛権などというわけも分らない観念を振りかざして『丸腰の教え』を説くことに熱心であるが、元々日米安保条約は「集団的自衛権」を前提としない限り成立の余地はない。

 なんぼアメリカ人が寛大であっても、アメリカ人の血をもって日本の自衛戦争の主役となることは絶対ないだろう。そんな馬鹿げた理論をアメリカの世論が許す訳もない。このくらい単純なことは、いかに日本人が馬鹿になったとは言え、理解できないといけない。

 今ミサイル防衛などとまるで万能の防衛システムが如くに言われているが、そんなものは高価なだけで大した御利益もないだろう。一発を撃ち損じるだけで、こちらの被害は甚大なものとなる。それよりも先制攻撃の正当性を法律上確立する方が、はるかに安上がりで、確実な戦争抑止力となる。

 憲法憲法と騒ぐのも良いが、国家が存続するための必要条件はいくつもあるあるが憲法は数多い必要条件のたった一要素に過ぎないと悟れ。本末転倒の不毛な論理の愚かさに気付くべし。