
土気往還は現在の青葉の森公園内を通っていたが、なんと当時の姿のまま保存されている箇所がある。案内版は東金街道になっているけど、東金街道はこの先の星久喜で土気往還と分岐していた。

明治時代に周囲一帯が国の畜産試験場として買い取られたので、開発されずにそのまま残り、その跡地を公園とする際に保存されたのだという。これが当時の姿のままかというと微妙だけど、歴史をそのまま残すという行為が素晴らしいと思う。

広々とした公園はまさに市民の憩いの場。

街道の跡地はほんの少ししかないので公園を出ることにする。

公園を出ると京葉道路松が丘インター。かつての街道との違いにはただただ呆れるばかり。

左側の道が土気往還。右から合流するのは現在の大網街道。

星久喜で土気往還と東金街道は分岐し、旧街道という雰囲気が全くない住宅地の中の道へ。現在の大網街道は東金街道跡を通っている、あーややこし。

まっすぐ歩いて行くと千葉東病院にぶち当たりやむなく左へ。この後、がんセンター付近で現在の大網街道と合流したあとは、現在とほぼ同じコースで土気へと続いている。
途中の酒屋さんで日本酒3本買って、重さと疲労でフラフラになって鎌取駅までたどり着き、電車で帰宅。

明治時代に周囲一帯が国の畜産試験場として買い取られたので、開発されずにそのまま残り、その跡地を公園とする際に保存されたのだという。これが当時の姿のままかというと微妙だけど、歴史をそのまま残すという行為が素晴らしいと思う。

広々とした公園はまさに市民の憩いの場。

街道の跡地はほんの少ししかないので公園を出ることにする。

公園を出ると京葉道路松が丘インター。かつての街道との違いにはただただ呆れるばかり。

左側の道が土気往還。右から合流するのは現在の大網街道。

星久喜で土気往還と東金街道は分岐し、旧街道という雰囲気が全くない住宅地の中の道へ。現在の大網街道は東金街道跡を通っている、あーややこし。

まっすぐ歩いて行くと千葉東病院にぶち当たりやむなく左へ。この後、がんセンター付近で現在の大網街道と合流したあとは、現在とほぼ同じコースで土気へと続いている。
途中の酒屋さんで日本酒3本買って、重さと疲労でフラフラになって鎌取駅までたどり着き、電車で帰宅。
誉田に住んでる私は、今の形に開発されるまでの行程を見続けてきました、おゆみ野もあすみが丘もね。
住んでいたタヌキやキツネは、どこに行ってしまったのかな…
まだまだ自然も多く残されていて、
いい場所だと思います。
ただ、あすみが丘東の開発では、
野山が切り刻まれる様子をリアルに見ていたので、
やはり心が痛みました。
コメントありがとうございます。