自己肯定感や自己評価の高低は、確かにその人の幸福度や人生に対する満足度、精神状態の安定度などに大きく影響します。
それでは、こうした要素がどのように幸福度や人生における満足度に影響するのかといえば、自己肯定感や自己評価の高低が、その人の生活の中で体験を「どう解釈するか」、「どう受け止めるか」に大きく関与しているからではないかと思います。
例えば、自己肯定感の高い人が、小さな成功体験をした時、その体験をとても肯定的に解釈しますし、何か小さな失敗をした時も、その心的ダメージが最小限になるような解釈の仕方をします。
一方で、自己肯定感の低い人が小さな成功体験をすると、往々にして、その成功を成功として捉えなかったり(例: こんな事は誰にでも。たまたま運が良かっただけ。)、体験そのものを心に留めなかったりします。しかし何か小さな失敗をすると、それをとても否定的に受け止めたり、悪運など外的要素を看過して、個人的に捉えて自分を責めたりします。
ところで今回私がこの記事を書こうと思ったのは、「ですから自己肯定感を高める事が大切です」と言いたかったわけでは実はなく、自己肯定感や自己評価の低さがその人にもたらす恵みもたくさんあるかもしれないと提案したかったからです。
自己肯定感が高いと幸福度や人生に対する満足度が高い傾向にあるのは間違いありません。それは多くの心理学的研究が示すものですし、皆さんも直感的・感覚的にお分かりになる事だと思います。
ただ、先ほど挙げた「小さな失敗」体験ですが、それをあまり引きずらない方がメンタルには優しいですが、そのようにして速やかに通り過ぎてしまう事でその人が見逃している事もありますし、できなかった体験もあります。
例えば、ある種の自己肯定感の低い人は、「小さな失敗」を味わい尽くしますし(本人は多くの場合「味わっている」意識はありませんが)、哲学者や心理学者などの社会学者はそこから人生や人間の心の成り立ちに対する理解を深めるかもしれませんし、ミュージシャンや作家はそこから詩や物語を書き始めますし、お笑い芸人はそこからネタを見出します。ものづくりの人はそこから創意工夫を生み出すかもしれませんし、ある高校生はそこから他者に対する共感性を高めるかもしれません。
小さな失敗があって、運などの外的要素がほとんどのケースは、「今回は運が悪かった」とやり過ごすのが確かに健全であり正しいかもしれませんが、あえてそこにも個人的な要素を見つけて深く感じる事を自然にできてしまうのは、ある種の才能ですらあるかもしれません。
少なくともそこにはユーモアや想像力、創造力、謙虚さの作用が存在します。
そして、矛盾するようだけれど、低い自己肯定感から何かを見出している自分に自覚のある人は、それが多かれ少なかれその人の自己肯定感の向上に繋がりますし、自己肯定感の低さに対して肯定的であったり、自己肯定感が低いながら豊かで幸せな人生を送っていたりします。