興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

あなたのその感情は誰の物?

2016-07-21 | プチ精神分析学/精神力動学

 我々は、他者との交流において、喜怒哀楽、様々な感情を経験します。

 通常、そうした情緒体験は、その状況や、文脈などに合ったものですが、ときに、そうした要素にはそぐわないような強い感情が沸き起こることがあります。

 この強い感情が、陽性のものであれば、その当人にとってあまり問題にならないのですが、問題は、その「状況にそぐわないような強い感情」が、負の感情の場合です。

 実際、こうした強い悪感情に苛まれてセラピールームを訪れる方が本当に多いです。そして、そうした方は、その強い感情が、「状況にそぐわない」程に強いものであるという自覚はありません。

 それはたとえば、上司からのモラハラ、パワハラにすっかりやられてしまってセラピーにやってくる方たちの、自責の念や、無価値観などです。彼らは本当に落ち込んでいて、自分がいかに致命的なミスをして、自分がいかに仕事ができない人間で、自分がいかに能力が低いかについて、一生懸命話してくださいます。彼らに寄り添って、共感的にお話を聞いていると、こちらもしばしの間彼らと同じような落ち込みを経験します。漬物石を頭の上に乗せられたような感覚になり、うなだれます。これを専門的には交流的逆転移(interactive counter-transference)といいますが、暗澹たる気持ちになって彼らの話を聞いているとまもなく、何らかのタイミングで、ふと気づきます。

 「うん。この感情はどこか変だな」、と。

 この瞬間から、私はクライアントの状況を、客観的かつ主観的に見ることができるようになるのですが、こうした強い逆転移を感じるとき、まず決まってそうであるのは、彼らがその上司との間に感じていた、或いは感じている感情も、どこか変だということです。というのも、こうした人達のお話を冷静に聞けば聞くほどに、彼らの犯したミスは致命的どころが、それほど大きな問題でもなく、また、彼らは特に無能ではない、ということがはっきりしてきます。それどころか、かなり有能な方も少なくありません。

 このようにして、クライアントが上司との間に経験した強い陰性感情が、その状況にそぐわないものであることが分かります。

 それではその感情は、どこからくるのでしょうか。

 その感情は、上司からきています。

 具体的には、上司がその部下に「感じさせている」ものです。これは非常によくあることですが、そのようなパワハラ上司は、自分自身の見たくない性質、受け入れがたい性質を、無意識的に自分から切り離して、部下のなかに「見出し」て、投影します。つまり、彼らから見た部下の好ましくない様子は、本当は、自分自身の好ましくない様子なのです。以前他の記事でも書きましたが、この「投影」とセットになって、投影される側に起こる作用に「取り込み」というものがあります。投影は、自分の要素を、他者に投影して、他者のものだと錯覚することであり、取り込みとは、他者から投影された他者の要素をこころのなかに「取り込み」、それを自分の要素と錯覚すること、でしたね。上司には、社会的地位があり、その上司と部下の関係性そのものの影響力があるので、この投影と取り込みの作用が起こりやすいのです。小学生が、モンスターティーチャーの暴言を鵜呑みにして深く傷つくのもこれです。先生と生徒という関係性そのものの影響力の濫用です。モンスターペアレントの奇妙な苦情にすっかりやられてしまう善良な先生もこれです。

 ところで、何らかの性質を攻撃されるわけですが、人は誰でも多かれ少なかれ、その性質を持ち合わせているので、こうした投影と取り込みの作業が起きた時、この性質が、2倍にも3倍にも感じられ、強い自己嫌悪などに陥ったりします。たとえば、自分が無責任であることを受け入れられない上司が、部下のちょっとしたミスにその「無責任さ」を見出し、激怒して激しく責め立てるとき、その部下のどこかにあった、小さな無責任さが刺激されて、それが2倍にも3倍にも感じられ、「自分はなんて無責任な人間なんだろう」と落ち込んだりします。

 このようにして落ち込んでセラピーに来られた方に、この投影と取り込みのメカニズムにすっかり嵌ってしまっていることを実感させ、このドツボから抜け出させるのが、こうしたときの私の仕事なのですが、それを実感したとき、つまり、その感情が状況にそぐわない大きなものだと気づいたとき、その人はその強い落ち込みから解放されます。そして、自分のミスを、自分の性質とは切り離して、冷静に見ることができるようになり、彼らが本来取るべき程度の等身大の責任を取って、前に進めます。