興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

執着とコンプレックス

2010-12-13 | プチ精神分析学/精神力動学
 自分に今の時点で出来ないこと、足りないものがあったとして、それに対して何も特別な感情がなかったら、それらについて「必要以上」に苦しむことも、葛藤することも、悩むこともないのだろう。
 それを本当にありのままに受け入れられたら、できない自分をそのまんま受け入れてあげられたら、自分自身に、或いはそこに何らかの形で関係する他者に、有害な感情を抱くこともないだろう。

 温かな家庭で育っている幼児が、初めて自転車の練習をするときに、乗れないことに対して必要以上に癇癪を起こしたり、傷ついたりすることはないだろう。そこにフラストレーションを感じることはあっても、その子はおそらく本当に素直に練習し続けるだろうし、うまく乗れないことよりも、少しずつうまくなっていくことのほうに気持ちが向くだろう。

 できないのは当たり前で、できないのならただ練習して努力すればいいのだ。

 そこに何にも余計な感情が混じっていない。とてもシンプルで健全だ。

 でも我々は成長する中で、いろいろな人間関係のなかで、いろいろな失敗をして、いろいろな挫折感を経験する。ある事象においてはそれを適応的に乗り越えられるし、しかしある分野では、うまく克服できずに、それはいつしか知らず知らずのうちに心のしこりとなる。
 そうした意識的な、或いは無意識的なこころのしこりは、大人になってからぶっつかった問題に何らかの理由で苦戦しているうちに、その苦戦に参加してきたりする。そこで我々は、知らず知らずのうちに、その本来はニュートラルな問題に様々な葛藤や悪感情を体験し、それは複合体、コンプレックスとなる。
 足りないものが、ただ等身大に足りないのではなくて、そこにいろいろな過去の傷やしがらみがくっついてしまっているから、必要以上に厄介な感情を経験することになるのだ。

 皮肉なことに、そうしてできたコンプレックスの対象は我々の幼少期の原始的な恐怖を、劣等感を刺激するものなので、そこに素直に向かえなかったり、それを回避する様になったりして、頭では分かっている最善の適応法、つまり努力や練習を素直にまっすぐに出来なかったりするのだ。
 出来ないものを回避し続けたらそれは出来ないままだし、足りないものから目を背けていたら、それはいつまでたっても満たされないだろう。

 ひとは劣等感を中心にして成長していくと最初に言った人間のひとりはアルフレッド・アドラーだけれど、劣等感を克服するのは、やはり勇気だと思う。
 恐怖心と勇気は常に一緒に動いているという。なぜなら、恐怖心なくして、我々に勇気は必要ないからだ。

 我々に劣等感を抱かせる対象に向き合うのは本当に勇気がいる。そこには過去の未解決の問題があるからだ。そして、我々が恐怖感情を克服する唯一最善の方法は、その恐怖感情に向き合ってきちんと経験することだ。
 その劣等感をきちんと見据えて、複雑にこんがらがったものを解いて、「たりないもの」と、「過去の問題」を区別していきながら、その過去の問題に苦しんでいる自分を受け入れてあげたら、足りない自分を批判することもそこにフラストレーションを感じることもなく、できない自分を励ましながらまっすぐに努力していけるのだろう。