対馬は暑かった。(そう思って帰ってきたら、札幌もかなり暑いのだった、、、)
8月の5日、6日と対馬で「厳原港まつり・対馬アリラン祭」が開かれた。
そのメインイベントは「朝鮮通信使」行列の再現。その模様を実際に見ることと、それが実現に至った経緯について調べるために、現地に飛んでいった。
対馬に僕がはじめて行ったのは、今年の3月。そのときは博多から船で行ったのだが、今回は全部飛行機。福岡から30分、乗ったかと思ったら、下に対馬が見えてくるという感じだ。
もともとこのお祭りは厳原(いづはら)町の地元行事だった。そこに朝鮮通信使行列という、李氏朝鮮から江戸幕府への使節団の復元を取り入れることになったのには、実に面白い経緯がある。
今から26年前の1980年3月、厳原町で服と布団を商う庄野晃三朗さんがある映画を観た。それは「江戸時代の朝鮮通信使」というものだった。この映画を企画したのは、辛基秀(シン・ギス)さんという在日コリアン2世の歴史家であり映像作家。そこで描かれた朝鮮通信使と対馬藩との関わりに庄野さんは興奮し、これを復活させて祭りの目玉にできないかと考える。それからの庄野さんの行動力は尋常ではない。すぐに町長と商工会長にかけあって承認を得るかと思えば、釜山に渡って100着の韓国衣装を調達する。それもポケットマネーをはたいて。さらには福岡の韓国総領事や博多の韓国人ホステスにまで参加の依頼をする。そして同じ年の8月には、もう行列再現をやってしまっていた。
回を重ねるうちに、マスコミの注目も浴び、観光客も集まってくるようになる。その矢先の1985年に晃三朗さんはお亡くなりになる。通信使行列振興会の会長を引き継いだのは息子の伸十郎さん。しかしそれはスムースなものではなかった。伸十郎さんは、そのことでお父様に反発していたからだ。町長の熱心な説得に動かされて、後を継いだものの、どうしていいか全然分からない。手探りで実践をしていく内に、伸十郎さんもそれに「はまって行った」。後になってお父様の「偉大さが分かるようになった」そうだ。
例年通り、今年の朝鮮通信使行列も祭りの二日目に行われた。神社の境内から出発し、港の特設会場まで30分かけて練り歩いていく。今年は、約500名が行列に参加し、そのうち韓国人は100名だったそうだ。釜山市おかかえの舞踊団を先頭に、色とりどりの時代衣装に身を包んだ行列を実際に見ると、感動を覚えた。事前に綿密な予行演習をしているのだろう、踊りも楽曲も行進する様も決まっている。それも30度を軽く超えた炎天下で。
江戸の第1回朝鮮通信使は1607年。だから来年は400周年に当たる。さらに絢爛たる行列が見られそうだ。
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