「焼き畑農業」という言葉をかつて聞いたことがありました。教科書には東南アジアにそのような農法の姿があったように記憶していました。
ところがの本には本来の焼き畑農法とも呼ぶべきものがあるのを知りました。9月25日のNHK総合のNHKスペシャル「クニ子おばばと不思議の森」という番組は、今も日本に残る「焼き畑」の世界、人と自然とのかかわりの姿を見事に紹介してくれる番組でした。
宮崎県椎葉村は今なお秘境と言われるところで、さらにその山奥に暮らす椎葉クニ子さん(87)は代々続く焼き畑農法を継承する方で、今も夏になると山に火を放ち焼き畑を作り、一年目はソバの実を撒き、二年目は粟、三年目は小豆、そして四年目は大豆を撒いて収穫します。
(収穫した穀物の種から、優秀な種を選び出し引き継いでいきます)
「焼き灰が肥料になり、薬になって、太らせているから焼き畑は・・・たった4年だもんね、後は自然に全部帰す。」
と語る椎葉クニ子三。先祖から受け継ぎ、数年前に亡くなった音とともに続けてきた農法を今も椎葉村のさらにその奥山で続けています。
毎年山の焼く場所を変えながら少しずつ畑を作り、4年収穫したら放置して森に返す。30年で山を一巡する、30年一世代の木々たち、人間も凡そ30年一代ですから不思議に一致した自然のサイクルです。
番組紹介によると、
人が焼き「かく乱」することで、森は若返り、畑の作物だけでなく、山菜やきのこなどさまざまな恵みを生み出す。かつては日本中が森を再生するための焼き畑を行っていたが、今もそれを続けているのは椎葉クニ子さんただ一人だ。
という話で、とても貴重な番組です。こういう暮らしの中には神の存在があり、「山の神に祈りを捧げて火を放ち、その恵みを日々の糧とする。」焼き畑の営みそれは縄文以来続けられてきたものです。
(山の神、神木に祈ります)
このような生き方を見ていると、私たちが忘れてしまった、魂の行くえが見えるような気がします。自然とともになどという人と自然を区別し一体化しなければならないという考え方以前に、人は自然御一部であり、また自然は人間を必要としていた、だから人間はあえて自然を痛めつけるようなことはしない。なぜならばそこが魂の帰るところだから・・・。そんな声が聞こえました。
山に帰る魂・・・共にあるからそうなのだろう。
こういう話は昔の人の話を聞くが一番わかります。民俗学者の柳田國男先生に「魂の行くえ」という小論があることをかつて紹介したことがあります。今朝は上記の「クニ子おばばと不思議の森」とともに、つぎの小論の最後の語りの部分を紹介したいと思います。
<「魂の行くえ」柳田國男著から>
・・・・・・ 日本を囲繞(いじょう)したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠い遠い処へ、旅立ってしまうという思想が、精粗幾通りもの形を以て、大よそは行きわたっている。独りこういう中に於てこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念しているものと考え出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りも無くなつかしいことである。それが誤ったる思想であるかどうか、信じてよいかどうかはこれからの人がきめてよい。
我々の証明したいのは過去の事実、許多の歳月にわたって我々の祖先がしかく信じ、更にまた次々に来る者に同じ信仰を持たせようとしていたということである。自分もその教のままに、そう思っていられるかどうかは心もとないが、少なくとも死ねば忽ちコスモポリットになって、住みよい土地なら一人きりで、何処へでも行ってしまおうとするような信仰を奇異に感じ、夫婦を二世の契りといい、同じ蓮の台に乗るという類の、中途半端な折衷説の、生れずにおられなかったのは面白いと思う。
魂になってもなお生涯の地に留まるという想像は、自分も日本人である故か、私には至極楽しく感じられる。出来るものならば、いつまでもこの国にいたい。そうして一つ文化のもう少し美しく展開し、一つの学問のもう少し世の中に寄与するようになることを、どこかささやかな丘の上からでも、見守っていたいものだと思う。
<以上>
「どこかささやかな丘の上からでも、見守っていたいものだと思う。」という最後の語りの言葉、クニ子おばばの見つめる後姿と重なりました。
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