万葉集には何人かの悲劇の皇子の歌があります。
磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸(まさき)くあらば また還りみむ
万葉集にある有間皇子の歌があります。
有間皇子が悲劇の皇子であることは皆さま承知のことだと思いますが皇子にはこの歌はその他に
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
もあります。処刑台への道を歩く旅、そこに現れているものは何か?
過去ブログで、ここに登場する「引き結び」の「むすび」という言葉に注目し、命について考察したことがあります。その際に万葉学者の故犬養孝先生の次の言葉を紹介しました。
実際にはよくわかっていない。松の枝と枝を結んだか、松を輪型に結んだか、松に幣帛をつけたか、それは不明です。恐らく幣帛をつけたのではないかと思われます。けれど松にさわるということはどういうことでしょう。これは松は常盤ですから、松の常盤の魂が我が身につくということなんですね。だから我が身が”命長かれ”という祈りになるわけです。
この文章の中に「松にさわるということはどういうことでしょう。」という言葉があります。
「松にさわる」とは、「松の木に触ること」、「木に手で触れること」ということではないことは犬養先生の言葉でもわかるように、結び触れるには間違いはないのですが「さわる」という言葉には魂にふれるという表現に目に見えない何かに感応している意味が含まれています。
前回ブログの最後に「障(さ)り」という言葉を書きましたが、日本人が失いつつある何かがこの「さわり」「さわる」という声音の中にあるのではと考えています。
倫理学者の竹内整一先生の著『日本思想の言葉』(角川選書2016.8.25)の第二章「人」の中で内村鑑三の『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』に書かれている
「小さな一隅に身をおくことのみ」
という言葉を紹介し、内村鑑三の一隅、道元の一隅、最澄の「一隅を照らす」という言葉も含めその「一隅」の意味深いところを語っています。その際道元禅師の『正法眼蔵』の「面授」の中の
「大悟を面授し、心印を面授するも、一隅の特地なり。」
という言葉に次のような解説をされています。
師と弟子が面と向かって一体となり、大悟(大いなる悟り)、心印(以心伝心によって伝えられる悟りの印)が伝えられたとしても、それは真理・悟りの全体ではなくして、その「一隅」の特殊に仕方においてのみふれうる、ということである。(同書p56)
個の解説の中に「ふれうる」という言葉が書かれています。「ふれうる」とは「ふれる」という言葉の変ですが、最初の犬養先生の「さわる」とこの竹内先生の「ふれる」という言葉に五感の接触的な感覚をも超える理解が生じることに改めて気づきました。
あまりにも当たり前すぎ言及することもはばかるような話ですが、
「さわる」と「ふれる」
ということばには、外的なものから内的な移行感覚の概念構成があるように思うのです。
私は事柄ののみ込みが悪く少々頭が悪いのですが・・・・
と書いて、「のみ込み」を「呑み込み」「飲み込み」に変換すると摩訶不思議、似たような感覚に襲われました。「理解力に乏しい」という表現ならば直接的に明白な理解になろうものを動詞のオンパレードに概念を構成させる不思議があります。
話がそれましたが「さわる」と「ふれる」に戻します。
差し障りのある話。
差し障りがある。
体に障る。
心に触れる話。
心に触れる。
神の怒りに触れる。
この「さわる」と「ふれる」には触覚的な意味ではない表現がいくつもありますが「見えないものが見えている」多様な意味を含んだ言葉です。
この言葉は古語の時代から今日まで使われている言葉です。そこで岩波の古語辞典を開きます。
さは・り【障り】
1[四段]《サへ(障)の自動詞形で、行くてをさえぎるものに引っかかって行き悩むのが原義。転じて、ものごとに受続的に接触する意。類語フレは瞬間的にちょっと接触する意》
①障害となる。
②さしつかえる。
③ひっかかる。
④当たり触れる。ちょっと接触する。
⑤相手から差された盃を受けずに、重ねて相手を酒を飲ませる。
2《名》
①さしつかえ。障害。
②月経
③《義太夫節の用語。他の音曲の節にさわる意から》
イ義太夫節以外の音曲の節を取り入れた部分。
ロ歌うように語る、抒情的な口説きの部分。
などと解説されています。古語にはこのほかにこの言葉に関係し
さや・り【障り】[四段]物にひっかかって身動き出来なくなる。
があり、この注釈に
△類語サハリ(障)は、進行するにつれて邪魔なものにひっかかる意。
とあります。
万葉集の巻520に次の歌があります。
「ひさかたの 雨も降らぬか 雨障(あまつつみ) 君にたぐひて この日暮らさむ」
訳
雨でも降ってくれたらいいのに。(そうしたら)雨で出かけずにあなたに寄り添って今日一日過ごしましょう。
何とも艶っぽい歌です。ここに書かれている雨障は、「あめさわり」とも詠まれ、雨障の「つつみ」は現代語の「つみ(罪)」の語源でもあることは以前ブログにも書いたことがあります。
他人の怒りを受けない、という意味にも使われる
触(さわ)らぬ神に祟りなし。
という言葉があります。
神の怒りに触(ふ)れる。
他人の怒りを受けないために関係性を断とうとする時に使います。
何かをすることによって、何かにふれる。
何かにふれることによって、何かにさわる。
何かには触れないことが、災いを避けるための最善の方策となるわけで、ここで思い出すのが前回のブログに引用した
「それは自然の事実をそのまま神格化することでもなければ、自然の力能をただちに神格化することでもない。そこに神が出現するのであり、自然の事実は神の意志による出来事として理解されるのである。古代日本人は神を祭ることによって、自然の事実の背後に働く強大な力能と対応する方法を発見したのである。」
という明大名誉教授で日本精神史研究の平野仁啓先生の言葉です。
目に見えない意志(現れ)というもの、力能というもの、そこには主体のない感覚だけが想定される。
人格神ではなく現れの動的な働きしかない事態が「神」なるもの、日本の古代の神はそのような感覚の世界にあったように思います。
一神教の世界では、「触(さわ)らぬ神」は思考外の話で、「ありてある神」は疑いようのない「ある」にあるのだから思考はそれを前提に展開されます。しかし日本の古代精神史においては、自然とのかかわりと他人との関わりの中に現れる力能に思考は展開されます。
「かみ(神)」は、そのような現れの力能にあることから、擬人的に神を移動させることもたやすい依代によって石にも樹にも神は宿り、逆に人も神になれ、日常的には、御上(おかみ)、女将(おかみ)が声音にて現れています。
「さわる」「ふれる」
で話を進めましたが、今の世の中、倫理・道徳感において正義の名において、悪と善の二極で事態は裁断されます。
事態の純粋経験において、本質的な「さわる」「ふれる」は個人には現れず、罰当たり的な我が表出する場になりつつあるように思います。
川におしっこをする。
河川を汚す行為は、罰当たりな行為としてある時代にはありました。私も幼少期にはそんな教えが支配していましたが、快適の名において「さわる」「ふれる」の深みある感覚、概念化は形がい化されつつあります。
大いなる反省もしたいのですが・・・現実に戸惑うばかりです。