江戸時代の庶民の教育場所となると手習宿や寺子屋という言葉を思い出します。武士階級の子弟の教育場所としての藩校とは異なり、町場の知識人、村の知識人が子供たちの教育にあたりました。
こう書きますと折り合いの中にないと、その教育さえ受けられない子供たちがいたと語り出す人がいるかもしれませんが、私はそれを知りません。
今日は休日です。久しぶりに古文書類を整理していますと、綴じ本の教科書が目に入りました。
江戸期の出版物の中でこの手習用の教化本があります。それを往来物と総称します。
書名とすれば『商売往来』『実語教』『農人往来』『童子教』などがあり名称は異なっても数多くの本が普及していました。
写真は『養草』という強化本で、寛政元年の京都書林が出版元で、実際信州伊那地方で使用されていた本です。仏教・神道・儒教等ありとあらゆる深イイ話で構成されています。
本の状態から塾に備え付けられていたもので、かなり擦り切れています。
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写真には、金剛教の「応無所住 而生其心(おうむしょじゅう にしょうごしん)」という言葉が書かれています。
「応(まさ)に住する所無うしてその心を生ず」、心というものは元来形のないもの。なんにもないがあるんだよという話で、犬がワンと鳴けば、犬と聞き、猫がニャンと鳴けば猫を聞きます。寒ければ寒いといい。暑ければ暑いという。
心は住する所がなくとどまりませんが、その時その時、作用して出てきます。
この言葉には、達磨大師から六代目の慧能大鑑禅師がまだ母親と二人暮しでその日暮の生活であったころ、薪売りで町に出かけると何処からかお経のを読む声が聞え、この言葉に出会い忽然と目ざめ、この尊いお経が金剛教であることを知り僧侶になる決意をするに至るという話があります。
江戸時代の子供たちは知っていたわけです。
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ニュースによりますと鳩山総理の誕生会があったということです。芸能人もたくさん招待されたようで、総理大臣夫人が仕切ったようです。
その後の地方ニュースでは、高校の授業料が払えない家庭が増加したということです。
これで本当によいのでしょうか。お上が乱れてる下々も乱れると書きましたが、トヨタを始め車業界は乱れていますし、少年による殺人は起こっている。大いに世の中は乱れが重なっています。
不祥事ということで相撲界を引退した横綱は、ハワイでゴルフ三昧で3億円という声も聞かれます。
悪と悪のジレンマ。どちらの悪を選べばよいのか、政治家から下々まで・・・・。
世の中にどんなことを見て取り、聞いているのでしょうか。
ある高僧が尋ねた、「お前は何処からきたのか」その御仁、答えて曰く「宇宙から」、・・・・・・・。
「悟っているなあ」
と何処からとなく聞えてきました。
私自身仕事が、超過勤務に関係なく手当てなど出ないボランティア的なものでそれを善しとはしていませんが、実に世の中は平等という理念は空想の産物だと思う気持ちが強くなりました。
何十億という所得の中で、あぐらをかき「命を救う」と言及できる神経が理解できません。
一番平等を説く社民党党首でさえ2億からの資産を寄付したという話はありません。
宗教界はどうかと言うと、私は仏教ブログに参加して入りのですが、他国から来た僧侶が自国の小さな島の内戦、虐待をさておき「これぞ仏教だ」と日本仏教を批判し宣教活動をしています。
アクセス数というものがあって、これが他のブログ村のアクセス数と比べると観(み)えたりなのです。
既成の宗教はどうかと言うと、新興宗教はさておき自分の宗派の本来あるべき姿に戻すために努力している方もいます。
さて世の中を変えてくれるものはあるのか、と考えた時、世情操作し庶民の意識改革をするのが手っ取り早いのですが、マスコミが拍車をかけるように為体(ていたらく)です。
残るところ自分だけは、しっかりするとかそういうことではなく、自分というものを忘れないことだと思います。過去や未来も大事ですが、今の大事さをしっかりつかめないと、期待しようが未来はありません。
>僕にだって、僕なりに「誓願」する理想と真実があります。たとえそれが、どんなに非現実的なものであっても。<
私などは、国会議員は資産を国へ寄贈、60歳以上は年金生活でボランティア。過去に遡り天下り官僚の資産は最低限(平均的庶民資産額)を残し没収すべきと思っています。
さらに、都会は若者に任せ、老人は田舎に帰ろう。
そんなことを時々思います。
コメントありがとう。今後もよろしく。
この世は、もっとも貧しく弱く愚かな人から順番に救われていくべきだと思っています。
パチンコ狂いのお母さんを持った子供がその日の夕飯のコンビニ弁当にありつけるなら、国家が5兆円のばらまき政策をしたって、それはぜんぜんOKだと思っています。
それでこの国が滅びるなら、それもけっこうだと思っています。
政治のことを考えるのに、「自分にとって」とか「自分の家族にとって」という問題などない、と思っています。
僕にだって、僕なりに「誓願」する理想と真実があります。たとえそれが、どんなに非現実的なものであっても。
コメントありがとうございます。
何かと世の中も天気も渾沌としています。人の心も似たようなものです。
ブログの「古本」の3冊目作者、書名も書きませんでした。写真から作者を検索できるとよく分かりますが、家庭環境が鳩山氏と同じ人です。
どちらも悪と悪のジレンマに陥りやすいそんな所です。
道楽の政治や革命ごっこはいやなものです。
人それぞれ考え方が違い、道楽的な匂いがしてなりません。当時も凄く感じていましたが、鳩山氏には今その匂いがします。
私は、現在経済的に困窮しています。ブログをコツコツ書いたり、読書をする機会はあるのですが、労働時間以外は家に閉じこもり消費者に、なるべくならないように努力しています。
そんな環境にあると、修行不足から世の中に不善が見えてなりません。
「子ども手当て」実際に貴殿が言われるような状態があり、お金のばら撒きに思えてなりません。自分の子のことを考えるなら入学金の一部でもいいので助けてもらいたい状況です。
したがって、私が貴殿のようなコメントをされても、その人のようには答えられません。
<それでも学校から帰った子供の夕食代にとテーブルの上に千円札か500円玉をおいてゆく余裕が生まれるのなら、それでいいではないか。>
この人は、これに人は喜びと思うようです。本人はそして依存症の遊戯に行くことを奨励しているわけで、理由はストレス解消、気分転換なのでしょう。
<それが子供の大切な思い出になるのなら、それでいいではないか。その手当てでかわいい服を買ってもらってそれでいじめられなくて済むのならけっこうなことではないか。>
「大切な思い出」これは子どもの気分の推定で、果たしてこの親に連れられてディズニーランドに行きその推定が正しいか疑問です。
「服といじめ」は少々その因果関係が不明なのですが、いじめと児童手当と同列に考える思考は、なにか女性党首の○民党の思考によく似ています。
整然と論理的に話しているようですが何か変です。
以上
今後もよろしく!
子供手当てを支給しても、それをパチンコなんかに使ってしまうバカ親もいるのだから、意味がない。それなら子供が18歳になったときの大学の入学金としてまとめてもらったほうがありがたい。
それで僕は、こうコメントをしました。
子供手当ては、子供を教育するための資金ではない。親子が生きてゆくための資金だ。パチンコに行く親が、それでも学校から帰った子供の夕食代にとテーブルの上に千円札か500円玉をおいてゆく余裕が生まれるのなら、それでいいではないか。その2万6千円でディズニーランドにいって、それが子供の大切な思い出になるのなら、それでいいではないか。その手当てでかわいい服を買ってもらってそれでいじめられなくて済むのならけっこうなことではないか。どうしてあなたの教育の都合に合わせなければならないのか。あなたの教育のことなんかどうでもいいんだよ。
信濃大門さんは、どう思われますか。
ちなみにその管理人氏は、うるさいことをいってくるな、おまえのコメントは、これからはもう削除する、という返事でした。