自由訳「イマジン」という新井満さんの書籍(朝日新聞社)のあとがきに、次のように新井さんは語っている。
1964年、オノさんは作品集『グレープフルーツ』を発表した。各詩篇には「飛びなさい」「水をやりなさい」「笑いつづけなさい」といった指示語が登場する。
例えば、「想像してみなさい。千個もの太陽がいっぺんに輝いているところを・・・・」(筆者訳) あるいは反撥して違う行動を起すかもしれない。作為、不作為を問わず、そこには必ず読者の参加が生まれる。アーティストの指示と読者の参加、その全体がひとつのアート作品なのだという発想がある。
ジョン・レノンは同書の発想にいたく感動し、創作の上でも大きな影響を受けながら「イマジン」を作詞したのだという。彼は死の二日前、インタビューにこたえてこんな言葉を残している。「あの歌は実際にはレノン/オノの作品とすべきでさ、多くの部分が----ヨーコの方から出ているんだけど、あの頃のぼくはまだちょっと身勝手で、男性上位で、彼女に負っているという点をオミットしちまったんだな。でも本当にあれは彼女の『グレープフルーツ』という本から出ているんで、あれを想像せよ、これを想像せよというのは全部彼女の作であることをここにまことに遅ればせながら公表します。」(『ジョン・レノン ラスト・インタビュー』ジョン・レノン/オノ・ヨーコ著、聞き手・アンディー・ビーブルズ、訳・池澤夏樹、中央公論新社)
「イマジン」という紅白でも歌われたジョン・レノンの名曲。この「イマジン」という言葉に惹かれた私は、その発想の原点であるオノ・ヨーコの『グレープフルーツ』という本を一度読みたいものだと思っていた。
この『グレーップフルーツ』というオノ・ヨーコの本は、1964年に限定版でわずか500部でに東京で出版され、その後1970年に加筆された英語版が出版された。初版から30年の時を経た1973年に、日本の代表的な写真家たちの協力を得て『グレーップフルーツ・ジュース』(講談社 訳南風椎)という題名で出版されている。
「機が熟す」とでもいうのか、こころの内に出会いを求める気持ちがあると「そうなる」もので最近立ち寄った古書店で1973年度版を入手した。
この本を手にし読み始めると「イマジン」という言葉の意味探求は何処へやら。次の四行の短い詩に驚いた。
思い出を脳の片半分に入れなさい。
そこに閉じこめ、忘れなさい。
脳のもう片半分に
それを探させなさい。
この詩の意味というよりもこの発想である。私にはこのような文章を、突然脳裏に思い浮かばせる能力は持ち合わせていない。
発想する主体。私は何処にその場があるのか。そのようなことよりも視点、志向の動きに驚かされる。
1964年、オノさんは作品集『グレープフルーツ』を発表した。各詩篇には「飛びなさい」「水をやりなさい」「笑いつづけなさい」といった指示語が登場する。
例えば、「想像してみなさい。千個もの太陽がいっぺんに輝いているところを・・・・」(筆者訳) あるいは反撥して違う行動を起すかもしれない。作為、不作為を問わず、そこには必ず読者の参加が生まれる。アーティストの指示と読者の参加、その全体がひとつのアート作品なのだという発想がある。
ジョン・レノンは同書の発想にいたく感動し、創作の上でも大きな影響を受けながら「イマジン」を作詞したのだという。彼は死の二日前、インタビューにこたえてこんな言葉を残している。「あの歌は実際にはレノン/オノの作品とすべきでさ、多くの部分が----ヨーコの方から出ているんだけど、あの頃のぼくはまだちょっと身勝手で、男性上位で、彼女に負っているという点をオミットしちまったんだな。でも本当にあれは彼女の『グレープフルーツ』という本から出ているんで、あれを想像せよ、これを想像せよというのは全部彼女の作であることをここにまことに遅ればせながら公表します。」(『ジョン・レノン ラスト・インタビュー』ジョン・レノン/オノ・ヨーコ著、聞き手・アンディー・ビーブルズ、訳・池澤夏樹、中央公論新社)
「イマジン」という紅白でも歌われたジョン・レノンの名曲。この「イマジン」という言葉に惹かれた私は、その発想の原点であるオノ・ヨーコの『グレープフルーツ』という本を一度読みたいものだと思っていた。
この『グレーップフルーツ』というオノ・ヨーコの本は、1964年に限定版でわずか500部でに東京で出版され、その後1970年に加筆された英語版が出版された。初版から30年の時を経た1973年に、日本の代表的な写真家たちの協力を得て『グレーップフルーツ・ジュース』(講談社 訳南風椎)という題名で出版されている。
「機が熟す」とでもいうのか、こころの内に出会いを求める気持ちがあると「そうなる」もので最近立ち寄った古書店で1973年度版を入手した。
この本を手にし読み始めると「イマジン」という言葉の意味探求は何処へやら。次の四行の短い詩に驚いた。
思い出を脳の片半分に入れなさい。
そこに閉じこめ、忘れなさい。
脳のもう片半分に
それを探させなさい。
この詩の意味というよりもこの発想である。私にはこのような文章を、突然脳裏に思い浮かばせる能力は持ち合わせていない。
発想する主体。私は何処にその場があるのか。そのようなことよりも視点、志向の動きに驚かされる。