前回のブログで、3月11日にNHKで放送された3.11東日本大震災ドキュメンタリー番組「あの日の星空」という番組について少し触れました。
2011年3月11日の東日本大震災は未曽有の災害をもたらしました。地震それによる津波という自然災害に遭遇し家族の生命を奪い、財産を押し流され、どうしようもない憤りと深き悲しみの只中で、被災者が見た星空の話です。全人間的な宗教体験であったのか、われと汝の対話のような実際に起きた不思議な出来事です。
津波と揺れによる災害で電力送電が停止し人工の光が失われた夜、空を見上げると満天にきらめく星々、それを「きれい」と言葉で表現するのは不謹慎と思われたが心を揺り動かす記憶に刻まれる光景であったといいます。
娘と孫を失った老夫婦、今もあの空を忘れません。孫の夢を見る。「お母さんは?」と聞くと「そばにいるよ」と答えたといいます。「あの満点の空の星が娘と孫が天国へ行く案内人としてあったのではないか。」と老夫婦はそのように話されていました。
小さな星まですべての星が輝いていた星空、「全戸停電で人工の光がないからよく見えただけだ。」と言われても、そんなことでは納得できない心を動かす何かがありました。アプリオリに「きれい」と感じてしまう体験、純粋経験です。経験知識からわかるのではなく、魂の根底からわき出る感情認識に思われます。
NHKには、番組を見た多くの方々からレビューが寄せられ体験者の「悲しいくらい星がきれいだ」と表現をする方の言葉もありました。
「悲しいくらい星がきれい」
被災地に住んでいたわけではないのですが、この言葉の意味を共有できるように感じました。ありとあらゆるものを破壊する自然現象、人から見れば破壊に違いないのですが、そこに破壊の意図を持つ主がいるわけでもなく総じてそうなるべくして現象が起こっているだけの話です。
しかしそのような現象により発生した悲哀の感情の中で、なぜ「きれい」と感じてしまうのでしょうか。問いの相手のない話で、不謹慎と思いながらも心の底の汝が語るようにそれは「きれいだった」のです。
この番組を見て伊勢湾台風当時の記憶として「夕焼けがきれいだった」ことを思い出し感想を書き込んだ方もおられました。
この夕焼け空で思い出すのが、有名な『夜と霧』の著者である実存分析精神科医のV・E・フランクの体験価値の話です。人間は人生から期待されている存在であり、人生に意味を求めて生きている。実体験の中で意味転回を与えられるような出来事があり、生きる意味が失われそうなその時にその苦難に手をさし伸べてくれるという話です。
人生に意味を与える価値には、創造価値、体験価値、態度価値の三つがあり、「悲しいくらい星がきれい」という体験は、その中の「体験価値」というものに当たると思います。
フランクルは著書の中で、その体験価値は次のように語られています。
体験価値は世界(自然、芸術)の受動的な受容によって自我の中に実現される。これに対して態度価値は、ある変化しえないもの、ある運命的なものがそのまま受け容れられねばならない場合に至るところで実現されるのである(フランクル著『死と愛』霜山徳爾訳 みすず書房p120)。
事例としては、彼の著書の中に語られています。
<夕焼けの風景>
若干の囚人において現われる内面化の傾向は、またの幾会さえあれば、芸術や自然に関する極めて強烈な体験にもなっていった。そしてその体験の強さは、われわれの環境とその全くすさまじい様子とを忘れさせ得ることもできたのである。
アウシュヴィッツからバイエルンの支所に鉄道輸送をされる時、囚人運搬車の鉄格子の覗き窓から、丁度頂きが夕焼けに輝いているザルツブルグの山々を仰いでいるわれわれのうっとりと輝いている顏を誰かが見たとしたら、その人はそれが、いわばすでにその生涯を片づけられてしまっている人間の顏とは、決して信じ得なかったであろう。
彼等ほ長い間、自然の美しさを見ることから引き離されていたのである。そしてまた収容所においても、労働の最中に一人二人の人間が、自分の傍で苦役に服している仲間に、丁度彼の目に映った素晴しい光景に注意させることもあった。
たとえばバイエルンの森の中で(そこは軍需目的のための秘密の巨大な地下工場が造られることになっていた)、高い樹々の幹の間を、まるでデューラーの有名な水彩画のように、丁度沈み行く太陽の光りが射し込んでくる場合の如きである。
あるいは一度などは、われわれが労働で死んだように疲れ、スープ匙を手に持ったままバラックの土間にすでに横たわっていた時、一人の仲間が飛び込んできて、極度の疲労や寒さにも拘わらず日没の光景を見逃させまいと、急いで外の点呼場まで来るようにと求めるのであった。
そしてわれわれはそれから外で、西方の暗く燃え上る雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から真紅の色までのこの世ならぬ色彩とをもった様々な変化をする雲を見た。そしてその下にそれと対照的に収容所の荒涼とした灰色の掘立小屋と泥だらけの点呼場があり、その水溜りはまだ燃える空が映っていた。
感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」と尋ねる声が聞えた。(霜山徳爾訳『夜と霧』みすず書房p126~p127から)
そして、次のような話も書かれています。
<死に逝く女性の言葉>
この若い女性は自分が近いうちに死ぬであろうことを知っていた。それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。
「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」
と言葉どおりに彼女は私に言った。
「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを追ってはいなかったからですの。」
その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。
「あそこにある樹はひとりぼっちの私のただ一つのお友達ですの。」
と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。病人の寝台の所に屈んで外をみるとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた一本の緑の枝を見ることができた。
「この樹とよくお話しますの。」
と彼女は言った。私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女はせん妄状態で幻覚を超しているのだろうか? 不思議に思って私は彼女に訊いた。
「樹はあなたに何か返事をしましたか?-----しましたって!-----では何て樹は言ったのですか?」
彼女は答えた。
「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-----私はここにいる-----私-----ここに-----いる。私はいるのだ。水遠のいのちだ・・・・・。」(上記書p170~p171から)※せん妄状態とは、軽度や中等度の意識障害の際に、幻覚・錯覚や異常な行動を呈する状態のこと。
体験価値という概念は、そのような機会があるという話ではあるのですが、自然は、災害という悪で人の心を蹂躙する一方で、一変してその姿を別感情で受ける作用をします。
津波で押し流された瓦礫化した山、その向こうには陽の光を受けきらめく波と青々とした海の光景があり、夜になると街灯やネオンの灯などの人工の光は消え、満天の星が「悲しいくらいきれいに光っている」という自然の日常が見えているだけなのにそこから問いかけられるものがあるのです。
今まさにその瞬間に開かれる意味転回の場です。それは知識や経験に先だつ体験で純粋に「きれい」の体感です。ある人は娘や孫の案内人としての星の意味取りを行い魂の安らぎを得ます。まさに悲哀の真中(まなか)に、生きる意味を投げかけられた瞬間の「かなしいほどのきれい」だったのだと思います。
「あの日の星空」が多くの人々が共有できる意味の場でもありました。何事かへの敬信の発芽の場と捉える人もおられるかもしれませんし、私は、我がとらえる内なる汝の声のように思えました。