テレビで、まぼろしの邪馬台国の話を見た。1800年前に女王卑弥呼が支配した邪馬台国があったという。どこにあったかわかっていない。奈良県のまきむく遺跡から桃の種が多数出土した。桃は神仙思想でまじないに使ったという。女王の建物は幅20mぐらいで、内部は64帖の広間があり、奥に弟の部屋、女王の部屋が並んでいた。この遺跡も邪馬台国の候補になった。
盲目の宮崎氏が妻に支えられて夫婦で研究して1967年に「まぼろしの邪馬台国」という本を発行した。魏志倭人伝の記述では博多から水行と書いてある。記述の間違いではなく運河があって有明海につながっていたと考えて、邪馬台国の位置は島原のあたりだという。邪馬台国は吉野ヶ里遺跡のような国だったと思われる。倭人伝には邪馬台国ではなく邪馬壱国と書いてある。新潟の国だという説もある。
女王卑弥呼の死は、自然死ではなく戦争に敗れたからだという。男の王が治めるクナ国が愛知県の辺りにあり、邪馬台国と戦争になり、卑弥呼は敗戦の責任をとらされて殺されたのではないかという。土器の分布を調べると文化圏がわかるという。
盲目の宮崎氏が妻に支えられて夫婦で研究して1967年に「まぼろしの邪馬台国」という本を発行した。魏志倭人伝の記述では博多から水行と書いてある。記述の間違いではなく運河があって有明海につながっていたと考えて、邪馬台国の位置は島原のあたりだという。邪馬台国は吉野ヶ里遺跡のような国だったと思われる。倭人伝には邪馬台国ではなく邪馬壱国と書いてある。新潟の国だという説もある。
女王卑弥呼の死は、自然死ではなく戦争に敗れたからだという。男の王が治めるクナ国が愛知県の辺りにあり、邪馬台国と戦争になり、卑弥呼は敗戦の責任をとらされて殺されたのではないかという。土器の分布を調べると文化圏がわかるという。
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