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吉田松陰の話し。長州藩の兵学、洋学者。明治維新の人材を育てた。老中暗殺事件で死刑。

2010-04-22 16:35:00 | Weblog
テレビで吉田松陰の番組を見た。吉田松陰は山口県萩市で1830年に生まれ。幼いころから優秀で、おじにスパルタ教育をされた。公に尽くすことを叩き込まれた。長州藩の兵学者、洋学者になり、松下村塾を開き明治維新の人材、伊藤博文などを育てたので有名である。肖像画を見ると学者風で物静かに見えるが、実行する行動の人であった。津軽海峡に外国船が現れると聴き、外国船を見ようとして藩の許可も得ずに、二人で東北の旅に出た。会津で大砲を見て、冬の山中を新潟に向かった。冬山は地元の人も越えなかったが、無理して峠を越え、困難に打ち勝つ快感を感じた。佐渡金山では坑夫の重労働を見た。盛岡で軍馬を見たが、馬を育てる農家の困窮も見た。目的地の津軽海峡に着いたが、海峡防衛の大砲は旧式で射程が短く、津軽海峡を外国船が自由に往来していた。
1854年に米国のペリー艦隊が浦賀に来航したので、黒船に乗ってアメリカに行き進んだ技術を学ぼうとして密航を企てたがペリーに拒否された。自宅謹慎になり、萩で松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文など明治維新の人材を育てた。坂本竜馬も訪れ土佐藩を脱藩した。幕府の開国政策を批判して、老中暗殺を説き、弟子にいさめられたが、時勢を待つのではなく、自ら時勢を作らねばならないと説いた。老中暗殺の事件で捕らえられて1859年に死刑になった。


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