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明治時代に日本の西欧化を勧めた福沢諭吉。蘭学を学び、独学で英語を学び、慶応大学を作った。

2010-06-20 00:43:03 | Weblog
放送大学で、明治時代の日本の西欧化を勧めた福沢諭吉の話をきいた。福沢諭吉は坂本竜馬や新撰組の土方歳三と同世代で、大阪で生まれたが、一年ぐらいで北九州の中津に移った。父親は中津藩の下級武士だった。身分制度で下級武士はしいたげられ、藩の給料は年収で現在の40万円程度で内職で生活した。成長して蘭学を学びに長崎に行き、大阪の緒方洪庵の適塾で学び、江戸の藩邸の蘭学塾で教えた。横浜に行ってオランダ語ではなく英語が主流になっていると知り、独学で英語を学んだ。政府に入るようにという勧めをことわり、慶応義塾を作り、時事新報を作って主筆として活躍した。西洋事情や学問のすすめ、文明論の概略を書き。西欧化の旗手になった。天は人の上に人を作らずと人間の平等を説き、地位は学問、能力で決まるとした。科学的な考え、実学を重んじた。自分で考え、精神的にも経済的にも独立した人間が出来て、国も独立する。西欧の植民地化したアジアの独立も出来るとした。国民が自由で独立して、国も独立する。近代日本を作ろうとした。歴史思想家だった。
西欧と日本の両方の文化を理解した。中津藩は医者が西欧医学を学び解剖などして先進的だった。杉田玄白とともに解体新書を書いた前野良沢は中津藩だった。諭吉は下級武士だったので身分制度の下で圧迫感を持っていた。藩を出て解放感を持った。門閥制度は親の敵だと嫌った。福沢は世界や日本の状況により発言を変えていた。初期の民権論から明治10年ごろからは国権論になった。平等から弱肉強食になった。万国公法から大砲の力になった。理想と現実の両方を持っていた。鉄道は国家が作るべきと言ったが、儲かると民営化すべしと説いた。状況により発言が変わった。福沢流の修身、道徳を書き、独立自尊を説いた。
現代は世界各国が依存関係になり独立自尊は難しい時代だ。


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