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自縄自縛日記

マイケル・ヘラー『Loft Jazz: Improvising New York in the 1970s』

2017-08-21 20:26:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

マイケル・ヘラー『Loft Jazz: Improvising New York in the 1970s』(University of California Press、2017年)を読む。

本書は1970年代にニューヨークで興隆したロフト・ジャズの動きを追った本である。著者が最初に書いているように、網羅的な歴史書ではない。また、演奏された音楽そのものについての記述は少ない。残された一次資料(誰もがセルフ・アーカイヴィストだった!)や、ムーヴメントの渦中にあった人物へのインタヴューなどによってまとめられたものだ。

読者からすれば、このことは本書の面白味を増していると言えるかもしれない(たまに退屈なのだが)。網羅的な分厚い本であれば、ジョージ・ルイスが書いたAACMの本のように通読することが難しくなる。歴史的なストーリーを意識した通史であれば、たとえばウィリアム・パーカーが「フランク・ロウや、カッポ・ウメズや、アーメッド・アブドゥラーはみんな近所に住んで・・・」などと語り日本の読者を喜ばせるディテールは消えたかもしれないし(言うまでもなく『生活向上委員会ニューヨーク支部』時代の梅津和時のことである)、NYのレコード店Downtown Music Galleryの店主ブルース・ギャランターが「いつも行く人はお互いに知り合いになった。コミューンのような、家族のようなものだった」と語るようなリスナー目線も省かれていただろう(ああ、ブルースさん!)。

ロフト・ジャズは、たとえば、シカゴのAACM (Association for the Advancement of Creative Musicians)や、セントルイスのBAG (Black Artists' Group)とは性質が異なっていた。「Great Black Music - Ancient to the Future」を標榜したAACM、さらに黒人という属性を排他性という形で強く打ち出したBAG、それらには切実なアイデンティティ獲得への想いがあった。一方、ロフト・ジャズとは、社会経済的な事情で一時的に不動産を使えるようになったという、現象のネーミングだった。(もちろん、ロフトに集まった面々が自身のルーツに無頓着だったというわけではない。)

当時のことを理想的なように語る者に対し、クーパー=ムーアは辛辣なコメントを寄せている。何言ってんだ、カネも稼げなくて、だんだん家賃が高踏してきて払えなくなって、あんた達はそれがわかっているのか?といった具合である。

とは言え、ブルースさんが語るような、音楽家やリスナーがコミューンのように密な関係を築き、その中からあの素晴らしい音楽群が生まれたのだと思うと、後の者が熱い目で見てしまうのは仕方がないことである。コミューンの中には批評家もいた。スタンリー・クロウチがデイヴィッド・マレイのことを世界一のサックス吹きだと絶賛して吹聴しなければ、その後のマレイはなかったかもしれないというのだ。デイヴィッド・マレイ『Saxophone Man』という映像作品で、クロウチが当時のことを振り返って語る場面があるが、その後保守化したクロウチにしてもそのような熱い出自があったということである。

本書には、当時のロフト地図が収録されている。これをもってマンハッタンを歩き回ろうかと夢想したりしている。


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