Sightsong

自縄自縛日記

ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』

2015-06-24 22:50:55 | ヨーロッパ

モンゴルへの行き帰りに、ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』(新潮文庫、原著1857年)を読む。今年の新訳である。

19世紀、フランスの田舎。父とふたりで暮らす美しいエンマは、開業医のシャルル・ボヴァリーと結婚する。シャルルは真面目で誠実な男だが、冒険を志向するロマンチシズムも、はみ出した面白さも皆無であり、心のはみ出した部分こそが反乱を行うという機微を解することがない。逸脱に向かう潜在性を持ったエンマは、絶望的な退屈に耐えられず、女たらしの色男や、文化を愛する青年を激しく愛するようになる。そして、放縦すぎる生活が、やがて破滅をもたらすことになる。

今回の新訳は、原文の文体への忠実さを心がけたのだという。「自由間接話法」、すなわち、「私は」という直接話法に近いものではあるが、主体は「かれは」という間接話法。しかし第三者の言動や思考を、神の視点で語るわけではない。これがフローベールによる革命であったのだという。

そのように、語り手がつぎつぎに遷移していくことで、愚鈍かつ誠実なシャルルや、卑近なものにしか影響されない大勢の登場人物たちが世界を創り出していく様が、実に面白く描かれている。しかし、その中でもエンマは特別である。内奥のわけのわからないものに衝き動かされて、自己認識に至ることはできない。フローベールは「ボヴァリー夫人は私だ!」と言ったという。読者も、相対化できないエンマを主体として自己に重ね合わせ、「ボヴァリー夫人は私だ」と呟きたくなるにちがいない。


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