なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ415 連休と法事

2023年05月07日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第415回。令和5年5月7日、日曜日。

ゴールデンウイークも終わりですね。関係ないけど。
そうねえ、平成のはじめの頃までかな、一年の法事の予約は5月の連休から埋まるという時期がありました。
一日8座務めた記憶があります。
遠くで暮らす兄弟や子どもたちが戻って来られる連休に合わせて法事をつとめようという社会の流れがあったと思います。
江戸時代の「やぶいり」ではありませんが、お盆以外に勤め人がまとまって休みが取れるのはほとんどその時しかなかったかもしれません。
今のようにあちこちに連休があるわけではありませんでした。電車や車の移動時間もずいぶん変わりました。
学生の頃、夜行急行列車で8時間かけて帰省したことを思い出します。
満員電車の状態で、ぎゅうぎゅう詰めどころか、4人掛けのボックスシートの間にも人が立って身動きできない状態でした。デッキで人の間に挟まった女性などは立ちっぱなしの上に揺れる度に押されてシクシク涙を流していました。
それでも列車からあふれて乗れない人がいて、「本日の乗車は諦めてください」というようなアナウンスが流れていたと思います。
そこまでしても「連休は田舎に帰るもの」というのが常識化していたのだと思います。
今は、若い人の連休は田舎に帰るのではなく、どこかへ遊びに行くのが優先で、法事などと言われても拒否されるのが関の山ですから、めっきり減ってきたということでしょう。
今年の連休も、一日全く予定のない日がありました。
法事だからと言って大勢人が集まることも少なくなってきました。

そのような流れにはいくつかの理由があると思われます。
「法事には顔を出すものだ」という意義が家族間で薄れてきた。
帰ろうと思えばいつでも帰れる交通事情と連休の数から、ゴールデンウイークに必ず帰省する必然性がなくなった。
大勢の親戚が顔を合わせるということが、大事なこと必要なことと思わなくなった。
むしろ、親戚のつき合いはなるべくしたくないという考えの流れ。
葬式の家族葬の流れもその延長線上にあるのだと思います。
そんな中、連休中の1件は自宅での法要とお斎でした。
30人ほどが居たと思いますが、仏壇の前で和やかに飲食をともにし、近況を伝えあったり、昔話に花を咲かせたり、昔ながらの法事でありました。
「それがいい、それがしたい」という当主の思いがこもっているのですが、今では珍しい光景となりました。
「親がそれを望んでいる」という受け止めを実現できる強い信念と実行力が関係していると思います。
もちろん、親戚の関係性、住宅事情なども関係してくるでしょう。
今では数少ない例となりましたが、希少価値ながらそれを望む人がいて、和尚もそれがいいと思っていることから、これからも流れに抵抗してなるべく昔ながらの法事を勧めていきたいと思っています。

さて、集中講座の1か月前となり、本格始動を始めました。
明日には地元紙の朝刊にチラシが入ります。第2回実行委員会の案内もしました。
今回を最後にするか来年以降も継続するか、まだ迷っていますが、スタッフの声を聞きながら決めたいと思います。
いずれにせよ、当地において、生の落語、中でも柳家さん喬師匠の落語を目の前で聴ける機会など、まずないことですから、私自身が心から楽しみにしています。
どんな田舎でも、少し頑張れば、優れた音楽や話芸を聴くことができる、その実例としてこの松林寺集中講座を開催してきました。
開催を続けることによって次から次へと縁が広がり、これまで多彩な講師をお招きしてきました。
分けても、さん喬師匠に8回目の登場をいただけることはこの上ない喜びです。
特に今回は、もしかしたら最後かもしれないという思いから、思い切って人情噺をリクエストしています。
「八五郎出世」「幾代餅」は聴かせていただきました。今度は「文七元結」なのか「芝浜」なのか、あるいは「浜野矩随」か「唐茄子屋政談」か、どの噺を聴かせていただけるか、今からドキドキワクワクです。
遠くから足を運んでも絶対無駄にはなりません。どうぞおいでください。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



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2 コメント

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供養にういて、いや、それ以上に・・・ (大閑道人)
2023-05-07 05:55:24
「先祖供養」について。

年回忌供養のこと、仰ることはよくわかります。その分析も的確だと考えます。しかし、その背景は、もっと根が深い。
「先祖供養」そのものに対する認識が、日本列島四つの島全体から希薄になってきた。つまりは、日本文化・伝統の消滅の瀬戸際にある。
「おもてなし」が日本文化の一つのシンボルになっているが、おもてないの訓練は、実は、お盆行事で培われていた。

・・・あまりにも広汎な話題になるので、状況を絞っていえば、「家業が消滅している日本の現状」ということでしょう。

給与所得者がほとんどになった、だから「社畜」という言葉も出てきた。

自分の人生観と、給与支給者の方針との溝。
個人的には「正しい」と信じている東日本大震災以降の原発問題も、雇用主が嫌な顔をすれば、現地へボランティアに行くこともできない。
なぜか? ・・・、 というのが私の視点です。
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ありがとうございます。 (三部義道)
2023-05-08 05:16:48
うーん、難しいですね。
現状に至る要因は複雑に関わってあるのでしょうが、逆に、現実の行為を維持することで社会を変えることができるのではないかという気もします。
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