なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ150

2018年03月16日 16時29分05秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月18日、日曜日。

今週は先週の続きの話をさせていただきます。
カンボジア、バッタンバンで事業視察をした後、夜の食事まで少し時間があったので、プノム・サンパウに行きました。
ここは別名「キリング・ケイブ」殺戮の洞窟と呼ばれ、ポルポト時代に虐殺が行われたところです。
国道を走っているとひときわ目立つ、唯一の小高い石灰岩の岩山で、頂上からの眺めも抜群です。頂に近いところから鍾乳洞が地下に伸びています。
そういう意味で昔から景勝地だったのだと思いますが、その鍾乳洞を利用して上から叩き落すという虐殺が行われた場所なのです。
近くに、虐殺前からあったと思われる地獄の様子を形にした彫像がありました。鍾乳洞を地獄の入り口に見立てて作られたのではないかと思いますが、そのリアルさが、虐殺という事実と重なり合ってなおさら背筋が寒くなるようでした。静かに読経させていただきました。

次の日バッタンバンを後にして、カンボジア在住の手束さんとはここで別れ、タイの八木沢さんと佐藤君と国境を越えタイへ。
佐藤君のたっての要望で、38年前のカンボジア難民キャンプ跡地サケオを訪れました。
街はすっかり変わってしまいましたが、病院や学校などにはうっすらとした記憶があります。
広大なキャンプ跡地は、その後軍隊の施設として使われたようですが、今は薬草の畑のようでした。
石垣のゲートが残り、コンクリートの建物の基礎が残骸として放置されていました。
そこから、ボランティアたちの宿舎にしていた村に行ってみようと車を走らせました。
その当時、一軒家の建物を借り、ボランティアは板の間にゴザを敷いてごろ寝していました。
メイドのおばちゃんを雇い、食事作りや掃除をしてもらっていました。
おばちゃんの旦那は小学校の教頭先生で、しょっちゅう顔を出していたので、私たちは「お父ちゃん、お母ちゃん」と呼んでいました。
時折3人の娘たちもやってきては、家族のように接していました。
「このあたりだったよな」と車を降りて探していると、佐藤君がいきなり近所の家に飛び込み昔のことを尋ねているではありませんか。
八木沢さんも加わって話を聞くと、何と、日本人がここにいて難民キャンプに行っていたことを知っているというではありませんか!
40代と思われる男性は、子どものころ近くに住んでいたらしいのです。
しかも何と、何と、その当時の教頭先生を知っていて、今も生きていると言うのです!
実は、尋ねる前、車の中で「お父ちゃんとお母ちゃん生きてるかな、いやあ、あのころ50代だと思うから90越えているし生きてないだろう。お父ちゃんは痩せていたからもしかしたら生きてるかもしれないけど、お母ちゃんは太っていたから生きてないね」などと勝手なことを言っていたのです。
尋ねた男性は、親切に、案内してやると言ってバイクで先導してくれました。
居ました!教頭先生!お父ちゃん!現在82歳とのことでしたから、あの当時は44歳だったということになります。
しかも何と!今は留守だけれど、お母ちゃんも元気だと!
ごめんなさい。でも、うれしかったあ。

ということで、今回の旅は、最後にサプライズのお土産まで付いてとても内容の濃い旅となりました。
青春時代の原点を訪ねる旅でした。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。