ソウル一番の繁華街『明洞』(ミョンドン)の北にある『鍾路(チョンノ)』にある 『昌徳宮』(チャンドックン) は
1405年正宮である『景福宮(キョンボックン)』の離宮として建てられた宮殿です。
14世紀後半から20世紀まで続いた李王朝の華やかな時代の様子が伺われる素晴らしい王宮でした。
【 昌徳宮の正門として1412年(太宗12年)に初めて建てられた敦化門(トンファムン) 】
【ソウルに残る最古の石橋、錦川橋(クムチョンギョ)は 1411年のもの】
【正殿である仁政殿(インジョンジョン)では公式行事が行われた場所】
内部の天井はこんな感じ。
ここで質問です!
この表情。 可愛く見えますか? それとも険しく見えますか? |
ガイドさん曰く、可愛く見えた人は現在の心持ちがHappy ・険しく見えたならUnhappy なのだそうです。
何て鮮やかなんでしょう~~! 溜息が出てしまいました。
赤・青・黄・黒・白で装飾された色彩を 『丹青(タンチョン)』 と言うそうです。日光東照宮とも似ていますがこちらの方が派手ですね。
それと、屋根の端が反り返っています。(東照宮の屋根はまっすぐ)
【熱帯魚の様な瓦の青が印象的な宣政殿(ソンジョンジョン)は執務室】
重厚な家具が並んでいました。
『昌徳宮』の建物の屋根には石で出来た魔除けの石造があります。
この飾りは、三蔵法師や孫悟空に猪八戒etc・・『西遊記』のキャラクターだそうです。
ん?? 『西遊記』って中国のお話だけどなぁ・・・。
お渡りする廊下 王様の寝室に続く廊下 王様のベッドは寝心地が悪そう
【王様とお妃様の寝室、大造殿(テジョジョン)】
ガイドさんの後を足早に見て回り、最後に見学したのが 『楽善斎(ナクソンジェ)』 と言う建物でした。
今まで見た建物とはガラリと変わって質素な木造建築の『楽善斎』は
朝鮮王朝最後の 李垠皇太子(イ・ウン)のお妃様、李 方子(イ・パンジャ)皇太子妃 が晩年を過ごされた場所だそうです。
李 方子(イ・パンジャ)皇太子妃は日本人であることを私は知りませんでした。
帰国後皇太子妃について調べました。
お妃になる以前の彼女の名前は梨本宮方子(まさこ)さまと仰る宮家のお方で、昭和天皇のお妃候補だったそうです。
しかし「日韓の架け橋」の名の下、19歳で政略結婚。
半ば人質として日本に連れて来られた李垠殿下と19歳で政略結婚。
終戦を向かえ日本の敗戦により皇族の特権を剥奪されついには平民になられてしまい
殿下がご病気になり、ようやく祖国である韓国に帰国した昭和38年は反日感情が高まっていたそうです。
しかし妃は殿下の元を去らなかった。
殿下がお亡くなりになられるまで妃は韓国人として睦まじくお暮らしだったそうです。
“添い遂げる” お二人にピッタリの言葉だと思います。
日本の皇太子妃候補から朝鮮の皇太子妃になり
王妃から平民へ、そして日本人から韓国人へとなった李方子さまがこの場所でお亡くなりになったのは1989年だそうです。
私はそんな背景があった事を知らずに 『楽善斎(ナクソンジェ)』 をぼんやり眺めました。
知っていたらもっと感慨を持てたのに・・・と少し悔やみました。
『昌徳宮』 を訪れて、お隣の国なのに歴史背景を知らないことばかりの韓国について
もう少し知っておきたいと思うようになりました。