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![]() | 【ジョン・レノン、ニューヨーク】 地元のNPO法人 松本シネマセレクト が運営する 一夜限りの上映。 昨年の今頃もやはり一夜限りで上映された 【ドアーズ/まぼろしの世界】 を観ました。 今回は仕事帰りと思われる背広姿のサラリーマンさんと 今回は学生さんの姿が多く 客席は8割埋まって、大盛況でした。 ![]() |
【ジョン・レノン、ニューヨーク】 は1971年に、ジョンとヨーコがNYに移り住んでから
1980年のあの日を迎えるに至るまでの9年間の軌跡を追ったドキュメンタリー映画です。
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ジョンがヨーコ夫人に対するイギリスのマスコミの伝え方(バッシング?)に嫌気がさして
新天地ニューヨークに移住した事は、映画で知りました。
アメリカに渡ってからは、“ビートルズのジョン” から脱却し
ヨーコ夫人共に反戦活動に傾倒して行った様子が描かれていました。
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この映画で、一番印象的だったのは、ジョンの表情(顔つき)の変化でした。
ヨーコさんから“距離を置きたい”と言われ、ジョンは一刻ニューヨークから離れ
ロサンジェルズで別居生活を始めます。
ニューヨークにいた頃は、反戦運動のシンボルになり、対アメリカ政府的な存在であった彼でしたが
西海岸では、解放的な気分を満喫・・・・は当初だけ。
次第にお酒に溺れ自暴自棄な日々を過ごす様子が描かれていました。
ジョンにとって、ヨーコ夫人はかけがえの無い存在であった様です。
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1年間の別居生活の後、復縁し、二人の間にショーン君が誕生。
そしてジョンは、音楽界から離れショーン君の育児に専念します。
ショーン君と過ごしているジョンの表情は柔らかく
それまでどこか尖っていた彼とは違う人の様に見えました。
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主夫生活の間には、日本に長期滞在していたそうです。
長野県の軽井沢は、ヨーコ夫人のご実家の別荘もあり、お気に入りだったみたいですね。
| レノン一家が1975年から1979年まで 毎年宿泊していた『万平ホテル』 学生時代に友だちとゴールデンウィークに 住み込みでバイトした 私にとっても懐かしい思い出のホテルなのであります! 因みに、レノン一家が宿泊していた 『本館・アルプス館128号室』は当時のままです。 これちょっと自慢なのだ~♪ ![]() |
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可愛いショーン君を授かり、育児に専念した5年間を経て
ジョンは再び音楽活動を再開。
1980年の11月に 『ダブルファンタジー』 を発表します。
映画では、盤石なジョンの姿がありました。
翌年の3月には世界ツアーも予定されていて
“ロンドン公演もありミミ伯母さんにも会える” みたいな話をしていました。
しかし、『ダブルファンタジー』は遺作となってしまったのです。
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時に神さまは無慈悲と思う瞬間。
映画が終わり、会場の階段を下りながら悔しくて涙が出ました。
ニューヨーク。
ジョンは新天地で第二の人生を生き、40歳の若さで逝ってしまいました。