☆★My Willful Diary★☆

日本の真ん中からこんにちは

父さんのこと

2013年02月15日 | 思ったこと
  



父のガンが見付かったのは昨年3月。
折しも義父の告別式の日でした。

宣告から11ヶ月。
節分の前日の夕刻、息を引取りました。



食事を摂らなくなった父を案じた母が
父を病院に連れて行きそのまま入院。
クリスマスの日でした。

約40日間、一日を除き母は入院中毎日病院に通い続けました。

今まで病気らしい病気をしたことが無かった父。
辛かったであろう抗癌剤の副作用にも気丈にしていたのは
最愛の母や、娘たちに心配掛けまいとする、父の思いやりだったと思います。

見舞いに行く度、“すまないね”と言っていました。
最後にそれを言った時の、か細い声は耳に残って切ないです。



出勤途中、危篤の知らせを受け、大急ぎで特急列車「あずさ」に乗り上京。
父の意識は既に無く、静かに呼吸を続けていました。
それから二晩病室に泊り込み、夜は父と二人で過ごすことが出来ました。

3日目の晩、妹と交代することになり
ひと晩だけ一先ず自宅に戻ることにしました。

“特に変わりはないよ”
妹からメールをもらい、安心して「あずさ」に乗り込みました。
でも、その2時間後松本に向かう車中で、妹から父の訃報が届きました。

丁度、母も自宅に戻っていましたが
妹に看取られ苦しむ様子もなく、そっと息を引き取ったそうです。



母には我が侭放題、甘えん坊気味でしたが
私たち姉妹には、朗らかで優しかった父さん。

1月の初めにひと晩だけ病室に泊まった時のこと。

ひどく咳き込んだ後、“コテッ”と意識を失ったので
私が慌ててナースコールをしようとした時
父はニヤーっとしながら目を開けました。

“こんな時に、死んだフリしないで!!”
二人で笑い合いました。
そんなお茶目な人でもありました。



以前、私が遠く離れてしまい、寂しい思いをしていると母が呟いた事がありました。
その時、父は私に
“○○○が幸せにしてれば、それが父さんの幸せだよ!”
そう言ってくれました。

その言葉は、私の心を軽くし、励みになりました。
あの時も、そして最期まで、きちんと“ありがとう”と言えなかったこと。
心残りです。

父の言葉をこれからも、ずっとずっと大切に心に置いて生きていこうと思います。