ブレイクで5年。
ブレイクSGで1年。
俺自身が、いよいよ青森県にお別れを告げる日。
6年間通い続けたこの場所は、自分にとって「第2のふるさと」という言葉では簡単に表現できない愛すべき県だった。
初めて画面に登場したときは、おそらく県民のすべてが、
「誰だこの厳ついあんちゃんは」
と、嫌悪感と違和感を覚えたに違いない。
それでも次第に街で声をかけてもらえるようになり、秋田では「シャバさん」と呼ばれるのも、青森では番組の設定上、しばらくは
「店長!」
と声をかけられ、不思議な感じだったのを覚えている。
そしてこの青森の番組は、ローカルタレントという俺のキャリアに、あまりにも多くの感動をもたらしてくれた。
通常では経験できない出来事の連続。
ハリウッド俳優や様々な超有名芸能人にインタビューやコンタクトをとらせて頂いたり、アニメの声優をやらせて頂いたり、東京でねぶたをハネさせて頂いたり…。
そして何よりも、全く知らなかった青森県という風土に様々な形で関わらせてもらったこと。
車でドライブしているとき、隣の県に突入したりすると、なんだか雰囲気が変わって見えて妙にワクワクしてしまうような、それが毎回味わえてしまう。
訪れる先のすべてが刺激的で、感動的。
俺にとってこの6年間で、青森での仕事というのが、当たり前のライフワークになっていた。
そして、与えて頂いたたくさんの仕事に、俺は必死で答えようとした。
「わざわざ秋田からギャラ払って青森まで来てもらわなくてもいいんじゃない?」
「遠いし大変でしょ」
「青森でもこれくらい出来るタレントいるでしょ」
「所詮秋田のタレントじゃん」
念願叶った仕事でも、吹けば飛ぶような現状と、むき出しのデメリットがいつもまとわりついていた。
だからこそ俺は必死にがんばった。
その思いは次第に、放送局の様々な人に伝わり、大切な見方となって俺をバックアップしてくれた。
いつかはこんな日が来るとは予測していたけど、それでもこうして6年間も番組を続けさせて頂けたことを本当に感謝します。
送別会もして頂き、もう誰にどう感謝していいかわからないくらい多くの素敵なメッセージを頂いた。
最後の収録では、不覚にもカメラの前で号泣してしまった。
本当に最高の仲間と仕事をさせて頂きました。
そしてここで、自分自身にも卒業証書を送らせて頂きます。
卒業証書授与。
シャバ駄馬男殿
あなたは、青森県という、全くあなたのことを知らない土地でタレント活動をがんばりました。
県民タレントではないという違和感に負けることなく、秋田と青森のタレントとして、この地に一生懸命取り入りました。
番組を愛する姿勢と、仕事に対しての意欲と、なめられないという精神と、人との絆を大切にする思い。
通常の6年間では味わえない刺激的な日々を忘れず、秋田でも引き続きがんばってください。ありがとう。
自分で言うのもなんだけど、俺は俺にしかできない仕事をやり遂げたと思います。
当然満足もしています。
だから、いつまでも余韻や感傷に浸っていてはいけない。
このブレイクという6年間は、シャバ駄馬男を大きくしてくれた。
俺はさらに大きくなって、今まで一緒に仕事をしてきた人達に恩返ししなきゃいけない。
セットの一部を頂きました。
元マニラバのはるよピが、俺のために特別に「青森駅」を歌ってくれました。
そして今日、トレードマークのモヒカンはバッサリ切りました。
これからシャバ駄馬男ニュータイプは、今までの経験を無駄にすることなく秋田でがんばります。
ABA関係者の皆さん、俺みたいなのをずっと使ってくれてありがとうございました。
トラストの皆さん、本当最高のチームワークで俺を助けてくれてありがとうございました。
アールキューの皆さん、いつもしびれるディレクションありがとうございました。
青森で出会ったたくさんの方々、皆さんのことは絶対に忘れません。
ABA東京支局の皆さん、今の俺がいるのは皆さんのバックアップのおかげです。ありがとうございました。
マジドさん、俺が出会った外国人で最もファンキーで紳士で面白い人でした。ありがとうございました。
ズッキー、美人過ぎる…ではない、美人なのに…的なキャラはそういない。愛してるぞ!
石塚さん、6年間ずっと俺のそばにいてくれてありがとうございました。石塚さんがいたからこそ俺が俺らしくいれたんです。愛してます!
浅利君。俺を青森に呼んでくれてありがとう。俺がどんなにがんばっても絶対に君に勝てないものをたくさん持っていて、いつもそれをうらやましく思ってました。これからもイクときは一緒だよ!
そして、ブログにコメントをくれたSGのみんなやテレビを見てくれいていた皆さん、本当にありがとう。
番組を見て楽しんでくれた人がいると言うこと、たった一人でも胸に響いてくれた人がいたと言うだけで、番組をやったことに大いに意味があり、それらはとてつもなく大きな財産です。
とにかく今まで出会った数え切れない人達に感謝です。
ありがとうございました。
そして、またいつか機会があったら絶対に言わせてください。
「ただいま」と…
ブレイクSGで1年。
俺自身が、いよいよ青森県にお別れを告げる日。
6年間通い続けたこの場所は、自分にとって「第2のふるさと」という言葉では簡単に表現できない愛すべき県だった。
初めて画面に登場したときは、おそらく県民のすべてが、
「誰だこの厳ついあんちゃんは」
と、嫌悪感と違和感を覚えたに違いない。
それでも次第に街で声をかけてもらえるようになり、秋田では「シャバさん」と呼ばれるのも、青森では番組の設定上、しばらくは
「店長!」
と声をかけられ、不思議な感じだったのを覚えている。
そしてこの青森の番組は、ローカルタレントという俺のキャリアに、あまりにも多くの感動をもたらしてくれた。
通常では経験できない出来事の連続。
ハリウッド俳優や様々な超有名芸能人にインタビューやコンタクトをとらせて頂いたり、アニメの声優をやらせて頂いたり、東京でねぶたをハネさせて頂いたり…。
そして何よりも、全く知らなかった青森県という風土に様々な形で関わらせてもらったこと。
車でドライブしているとき、隣の県に突入したりすると、なんだか雰囲気が変わって見えて妙にワクワクしてしまうような、それが毎回味わえてしまう。
訪れる先のすべてが刺激的で、感動的。
俺にとってこの6年間で、青森での仕事というのが、当たり前のライフワークになっていた。
そして、与えて頂いたたくさんの仕事に、俺は必死で答えようとした。
「わざわざ秋田からギャラ払って青森まで来てもらわなくてもいいんじゃない?」
「遠いし大変でしょ」
「青森でもこれくらい出来るタレントいるでしょ」
「所詮秋田のタレントじゃん」
念願叶った仕事でも、吹けば飛ぶような現状と、むき出しのデメリットがいつもまとわりついていた。
だからこそ俺は必死にがんばった。
その思いは次第に、放送局の様々な人に伝わり、大切な見方となって俺をバックアップしてくれた。
いつかはこんな日が来るとは予測していたけど、それでもこうして6年間も番組を続けさせて頂けたことを本当に感謝します。
送別会もして頂き、もう誰にどう感謝していいかわからないくらい多くの素敵なメッセージを頂いた。
最後の収録では、不覚にもカメラの前で号泣してしまった。
本当に最高の仲間と仕事をさせて頂きました。
そしてここで、自分自身にも卒業証書を送らせて頂きます。
卒業証書授与。
シャバ駄馬男殿
あなたは、青森県という、全くあなたのことを知らない土地でタレント活動をがんばりました。
県民タレントではないという違和感に負けることなく、秋田と青森のタレントとして、この地に一生懸命取り入りました。
番組を愛する姿勢と、仕事に対しての意欲と、なめられないという精神と、人との絆を大切にする思い。
通常の6年間では味わえない刺激的な日々を忘れず、秋田でも引き続きがんばってください。ありがとう。
自分で言うのもなんだけど、俺は俺にしかできない仕事をやり遂げたと思います。
当然満足もしています。
だから、いつまでも余韻や感傷に浸っていてはいけない。
このブレイクという6年間は、シャバ駄馬男を大きくしてくれた。
俺はさらに大きくなって、今まで一緒に仕事をしてきた人達に恩返ししなきゃいけない。
セットの一部を頂きました。
元マニラバのはるよピが、俺のために特別に「青森駅」を歌ってくれました。
そして今日、トレードマークのモヒカンはバッサリ切りました。
これからシャバ駄馬男ニュータイプは、今までの経験を無駄にすることなく秋田でがんばります。
ABA関係者の皆さん、俺みたいなのをずっと使ってくれてありがとうございました。
トラストの皆さん、本当最高のチームワークで俺を助けてくれてありがとうございました。
アールキューの皆さん、いつもしびれるディレクションありがとうございました。
青森で出会ったたくさんの方々、皆さんのことは絶対に忘れません。
ABA東京支局の皆さん、今の俺がいるのは皆さんのバックアップのおかげです。ありがとうございました。
マジドさん、俺が出会った外国人で最もファンキーで紳士で面白い人でした。ありがとうございました。
ズッキー、美人過ぎる…ではない、美人なのに…的なキャラはそういない。愛してるぞ!
石塚さん、6年間ずっと俺のそばにいてくれてありがとうございました。石塚さんがいたからこそ俺が俺らしくいれたんです。愛してます!
浅利君。俺を青森に呼んでくれてありがとう。俺がどんなにがんばっても絶対に君に勝てないものをたくさん持っていて、いつもそれをうらやましく思ってました。これからもイクときは一緒だよ!
そして、ブログにコメントをくれたSGのみんなやテレビを見てくれいていた皆さん、本当にありがとう。
番組を見て楽しんでくれた人がいると言うこと、たった一人でも胸に響いてくれた人がいたと言うだけで、番組をやったことに大いに意味があり、それらはとてつもなく大きな財産です。
とにかく今まで出会った数え切れない人達に感謝です。
ありがとうございました。
そして、またいつか機会があったら絶対に言わせてください。
「ただいま」と…