「遠近を抱えてパート2」 について(再追加)
YouTubeでみた大浦信行の「遠近を抱えてPart2」には少しわからないところがあった。
山本育夫さんが紹介してくれたビデオで作品の背景が分かった。
https://video.vice.com/jp/video/nobuyuki-oura/59e0485e177dd454fe3412f1?fbclid=IwAR09Yk3YCqetKKcKkOrNjZrj4c6W5_yQc3XnMNUoEjTimF6Bjl6K9SZs_5E
「遠近を抱えてPart2」に先立つ作品がある。「遠近を抱えて」である。その作品は
①富山の美術館で展示された。展覧会が終わった後、富山県議会で作品が批判され、最高裁まで争った。そして、その後(?)、展覧会の図録が焼却された。
②「遠近を抱えてPart2」は、そういう経緯を踏まえて作られている。
なぜ、大浦は「遠近を抱えてPart2」で作品を焼いたのか。
理由は簡単である。大浦にとって天皇は大浦自身なのである。大浦はアイデンティティを天皇に直結させている。日本の感情、情緒、精神もすべての天皇を中心とした「遠近法」のなかにある。それが「遠近を抱えて」で大浦が表現したことだ。(ポエティックというようなことばを使って、大浦は「遠近を抱えて」を紹介していた。桜とか入れ墨とか、日本のポエジーが天皇の周辺で、一点透視とは違う遠近法、縄文の渦巻き、らせんで構成されている、というのが大浦の「哲学」だ。)
ところがその作品図録が焼却処分にあった。これは大浦には、大浦自身が否定されたように感じられた。きちんとした「批評」で否定されたのではなく、芸術を理解しない人間によって、無残に否定された。大浦自身だけではなく、大浦が「一体」と感じている天皇も「無知」によって踏みにじられた。理想の「遠近法」も否定された。)
何としても、天皇と大浦自身を「無知」から救済しないといけない。彼の「芸術」のすべ
てを救済しないといけない。
どうするか。
大浦自身の手によって、「完璧」に死へと昇華させる。「もの」ではなく、「精神(霊)」にまで高めるのである。それが焼くことであり、灰を踏みにじることなのだ。もう、「無知」な人間には「大浦自身である天皇」の作品など見せない。
大浦は、そう決意したのだ。そして彼一人で「儀式」をしたのだ。
天皇の「評価」はいろいろあるだろう。大浦は、天皇は日本人の精神を戦争によって高めたと感じているのだろう。稲田なんとかという国会議員のように。その「証拠」として従軍看護婦の少女の手紙を「パート2」の中に抱え込んでいる。大浦は、少女の手紙を紹介することで、彼自身が「少女」になって、天皇の命ずるままに戦地に行き、血まみれになって死ぬのだ。彼女の遺体(遺骨)は日本に帰ってきたか、たぶん帰ってこない。その少女も、同時に「美しい霊」にしてしまうのだ。天皇と戦争というものがなければ、少女の精神は「美しい霊」にはなれなかった。天皇のおかげで「靖国の霊」になれた。
この作品のなかで、大浦は、生きていながら「靖国の霊」になっているのだ。
とんでもない作品だ。
この作品を批判している人は、天皇の写真が焼かれている部分だけしか見ていないのかもしれない。もしかすると、その部分も見ていないかもしれない。
天皇の肖像は、写真のコラージュのようにも見えるが、大浦が描いたものにも見える。自分が描いたものが気に食わなくて、破ったり焼いたりする人は多いだろう。そうすると「完璧には描けなかった天皇」を焼くということは、不謹慎なことではなく、天皇を愛するひとなら当然のことかも知らない。「完璧な天皇の肖像」だけを提供したいと思ったから焼いたということもあるのだ。
「表現の自由」が話題になった作品だが、この作品を他の画家たち、この作品を実際に見た人たちはどう見ているのか。作品に対する感想を聞いてみたい。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
ページ右側の「製本のご注文はこちら」のボタンを押して、申し込んでください。