詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

読売新聞は問題点を隠している。

2021-06-22 08:09:43 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞のニュースの伝え方。
オリンピックの入場者数の「上限」が発表された。
西部版(14版)の見出しは、
五輪上限1万人 合意 5者会談
見出しに嘘はない。
しかし、本文を読むと、疑問が浮かぶ。
こういう部分がある。
①子どもの観戦用に購入された「学校連携観戦チケット」は、教育上の意義などを考慮し、引率の教職員を含めて上限の対象から除く。組織委によると、五輪では59万枚が販売済みで、今月からキャンセルの受け付けが行われている。
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この59万枚(キャンセルは考慮しない)は、どれくらいの数字なのか。
別の記事には、「決定した観客数の上限を各会場に当てはめると、五輪のチケット販売枚数は272万枚になる見込みだ」とある。約5人に1人が子ども、ということ。逆に言うと、観客の上限は子どもを含めると「1万2000人」。それなのに「1万人」と組織委は発表している。
この「嘘」をあばかないで、何がジャーナリズムなのだ。
公表された情報を垂れ流しにしているだけではないか。
さらに、
②会場には観客とは別に、大会運営に必要なIOCの関係者らも入場する。関係者によると、五輪開会式に入る関係者は1万人を超える予定だったが、組織委の武藤敏郎事務総長は「(観客と合わせても2万人より)明らかに少ない数字になるだろう」と述べ、さらに削減に努める意向を示した。
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「上限」がさらに、わからなくなっている。「関係者は1万人」は削減するというが、ほんとうに「2万人以下」になるか。すでにある「子ども枠2000人」を考えると、「関係者枠」は8000人以下になる。そのうえ、「削減に努める意向を示した」というのだから、それは「意向」にすぎないかもしれない。
「子ども枠2000人」があるなら「関係者1万人」が入場しても、一般+子ども(1万2000人)より少なく見える。「1万人」で押し通せ、あるいは「1万2000人」で大丈夫、ということになるかもしれない。
関係者をより多く入場させるために「子ども枠」を「みせかけの緩和材」としてつかうおそれがある。
「上限」とは関係なく、こういうくだりもある。
③組織委は観客に求める行動などを盛り込んだガイドライン(指針)を今週中に公表する方針で、会場内の酒類の販売についても協議している。
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「酒類販売禁止について協議」ではなく「販売について協議」。これは、「販売する」ということだ。言いなおすと、販売の時間帯、販売の量について協議する。
飲食店に「酒類販売禁止」を押しつけておいて、五輪では「販売解禁」。これは、どうみたって「一般観客」の要望に応えるというよりも、「大会関係者」の要望に沿ったものだな。
なぜというに、日本の国民は「飲食店の飲酒禁止」をすでに受け入れている。「飲酒禁止」状態で競技を観戦することだって、すでに「折り込み済み」だろう。
「飲酒禁止」が折り込まれていないのは、五輪を楽しみにやってくる「大会関係者」以外に考えられない。
逆に言えば。
オリンピック会場で酒が飲めるなら、ぜったい入場券を手に入れたいという観客(飲み助)がいるはずだからである。一流選手の活躍が見られて、なおかつ酒も飲める。オリンピック観戦ほど楽しいものはない、ということになる。
こんな「上限枠」の発表なんて、単なる五輪関係者の「おもてなし」隠し。その隠蔽工作に酒を飲まない(飲めない)「子ども」までつかわれている。
こういう点こそ、ジャーナリズムは追及すべきだと思う。

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