詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎「そのあと」

2013-03-04 17:19:44 | 
谷川俊太郎「そのあと」(「朝日新聞」2013年03月04日夕刊)

そのあと

そのあとがある
大切なひとを失ったあと
もうあとはないと思ったあと
すべて終わったと知ったあとにも
終わらないそのあとがある

そのあとは一筋に
霧の中へ消えている
そのあとは限りなく
青くひろがっている

そのあとがある
世界に そして
ひとりひとりの心に

 「意味」の強い詩、意味を考え、意味を味わう詩である。そのとき意味を考え、味わうのは「頭」なのかもしれないが、その「頭」を「こころ」に替える――というのが谷川の特徴なのだと思う。その移行を「ひとりひとりの心に」と、「心」ということばを書くことでスムーズに誘導する。
 でも、この詩でおもしろいのは、2連目の「青くひろがっている」の「青」だね。
なぜ青?
分からないけれど、私は納得してしまう。そしてそのときの青というは強い青、深い青ではなくて、きっと水色に近いやわらかい色だと思う。
 これは、もちろん私の「誤読」。
 他のことばの影響を受けながら、私の肉体が引っ張り出してきた、ぼんやりした「青」。「霧の中の青」と言い換えることができる。
 「そのあと」があることは、私もなんとなく「覚えている」のだと思う。その「覚えていること」と谷川のことばが重なると、その「青」になんとなく、やわらかな青が重なる。夏の強烈な海の青じゃなくて。でも、秋の澄み切った青空の色なら、その青でもいいかな・・・。あるいは谷川が「宇宙の孤独」というときの、その青でもいいかなあ・・・。青がどんどんかわってきて、広がる。
 この「広がり」。どんどん「あいまい」になるのだけれど、あいまいになるほど「共感」が強くなるという、変な要素がない?
 この変なところが詩なのだと思う。
 デザインの現場なんかでは、青がどういう青か特定できないと仕事にならないけれど、詩ではそれぞれが勝手な青を思い浮かべ、それも思いついた先から違う青を感じ、要するに「誤読」が増えていくにしたがって親近感が増してくる、という変なところがあるね。
 結局、その「青」はどんな青――なんてわからないけれど、この「青」といっているところが好き。
 詩はそうやって好きになればそれでいいんだろうなあ。
 「そのあと」は、そうだね、谷川が書いているように「ひとりひとり」の問題。




自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)
谷川 俊太郎
岩波書店

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2 コメント

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Unknown (カリマンタン)
2019-03-16 12:33:14
このブログ記事を読み、リンクの本、『自選 谷川俊太郎』を購入しましたが、「そのあと」は収録されていませんでした!紛らわしいので、リンク先を『こころ』に変更処理願います。他にも同様の読者がおられると思いますよ?
返信する
リンク先について (谷内修三)
2019-03-20 09:21:21
冒頭に、

谷川俊太郎「そのあと」(「朝日新聞」2013年03月04日夕刊)

と、書いています。
私のブログでは、出典は必ず冒頭に書いています。

このブログを書いた当時(2013年3月4日)は、まだ「こころ」は出版されていません。
「こころ」は2013年6月30日の発行です。
「こころ」をリンク先で紹介することは、不可能でした。

また、
アマゾンを利用の方はご存じだと思いますが、詩集は発行されてもすぐには「リンク」が発生しません。
そのため、その詩集、あるいはその詩の掲載されている本をリンクで紹介することができないことがあります。
そういうときは、ほかの詩集もよんでもらいたいという願いを込めて、別の詩集を紹介することがあります。
返信する

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