認知症が進行する程、
色々な事を忘れるのに…
言い訳、取りつくろい、へりくつの類は、ますます冴え渡るのはなぜでしょう。
取りつくろいは認知症の症状のひとつだからとわかっていますが、
見事なものだなあ…とつくづく感じます。
朝、冷蔵庫にあるのを確かめたヨーグルト。
朝ご飯が出来たよと言いに、母の部屋に行くと、その容器が。
あっ、ご飯前に食べたの、と言うと、
「違うよ。夕べお腹が空いたから食べたの」
こういうセリフがパッと出る。
だってこうでしょ、
だってこうだもの、
それが通じないと
「もう死んだ方がいい」
しばらくすると、まるっと忘れる。
以前は、ちょっとした注意事項に
「ああ、そうだね」「そっか」「あはは、間違った」
と納得したものですが、
最近はすっかり反抗的です。
言い訳も、受け入れて聞いてしまうと腹が立つので、
こう言うのか、こう来るのかと、症状としてとらえないと。
言い訳が思いつかないと、
不穏スイッチが入り、ドタドタバタンバタン。
しばらくすると、まるっと忘れる。
多分、
当たり前になった母の言動に、など、自分の中のどこかで何かには慣れているのでしょうけれど、
それは無感覚。
まだまだ慣れないなぁと思います。
色々な事を忘れるのに…
言い訳、取りつくろい、へりくつの類は、ますます冴え渡るのはなぜでしょう。
取りつくろいは認知症の症状のひとつだからとわかっていますが、
見事なものだなあ…とつくづく感じます。
朝、冷蔵庫にあるのを確かめたヨーグルト。
朝ご飯が出来たよと言いに、母の部屋に行くと、その容器が。
あっ、ご飯前に食べたの、と言うと、
「違うよ。夕べお腹が空いたから食べたの」
こういうセリフがパッと出る。
だってこうでしょ、
だってこうだもの、
それが通じないと
「もう死んだ方がいい」
しばらくすると、まるっと忘れる。
以前は、ちょっとした注意事項に
「ああ、そうだね」「そっか」「あはは、間違った」
と納得したものですが、
最近はすっかり反抗的です。
言い訳も、受け入れて聞いてしまうと腹が立つので、
こう言うのか、こう来るのかと、症状としてとらえないと。
言い訳が思いつかないと、
不穏スイッチが入り、ドタドタバタンバタン。
しばらくすると、まるっと忘れる。
多分、
当たり前になった母の言動に、など、自分の中のどこかで何かには慣れているのでしょうけれど、
それは無感覚。
まだまだ慣れないなぁと思います。