きぼう屋

生きているから生きている

神の働く場

2010年07月18日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「神の働く場」

教会とキリスト者は、
この世において神が働かれることを、丁寧に知り、参与していきます。
そしてそれが具体的なキリストの平和を世に創り出すことになります。

神が働かれる場所は超越している場所です。
そして超越している場所の発見こそ大事な信仰のテーマです。

まず私たちは生と死という超越を抱え生きています。

今生きていることは当然ではありません。
超越的出来事です。
ここには明らかに神が働いています。
生きていることを当然とするとき、
私たちは命への労わりを忘れます。
しかし神の働きによって生きることを実感できるとき、
私たちは命を愛します。

また私たちが死を迎えるのも超越的出来事です。
人は、神の働きを信じることで死を受容できる知恵を獲得しています。

また人と人との関係、命どうしの関係、
共に生きること、共に居ること、さらにそこで互いのために祈りあうこと、支えあうこと、引き受けあうことも、
超越的な出来事です。
これらは神の働きがあって初めて成立します。
神抜きでは(人だけでは)、
他者と共にいることは、
最終的に疲労となるという現象が起こります。
しかし神は、疲労を愛と喜びに変化させます。

ですから、
キリスト教会は、(旧約聖書を読むユダヤ教とイスラム教も)、
他者との交わりを毎週欠かさず体験します。
つまりこれこそ超越的であり、
交わりを成立させることこそが神の業であり、
とりわけキリスト教会にとっては、
キリストの十字架上での引き受けの出来事なわけです。

そこでわかるのは、
神の働きは他者との交わりの只中で起こされるのであり、
個人が神を参拝することによってではないということです。

参拝形式の信仰は、
超越以前の自分を神の名によって肯定するという、
実のところは自分で自分を報いるための、自分の働きであると言えます。

しかし
神の働く場は、礼拝を中心としたキリストの体なる交わりであり、
そこから派遣された者たちがあらゆるところで担う交わりです。

だから本日も共に礼拝し、愛し合います。
神の働きによって。

アーメン。