バザーまであと4日
地域からの献品はいまのところ88件
例年どおりなら明日が献品のピーク
感謝!
献品は偉大です!
リサイクルショップでお金に換えるでもなく
捨てるでもなく
だからといって
経済的に余裕があっての
半ば施しというようなケースもなく
もちろん
ごみ処理というケースもなく
当教会のバザーのためにささげてくださいます
そしてささげてくださった方が
受け取ったわたしに感謝してくださいます
ささげて感謝
これはキリスト者の生き方そのものなのですが
それがバザーでは
キリスト者でない方にも起こされていく!!!
どえらいことです
献品の背景に
ささげてくださる方々の物語があって
それを聞く機会に恵まれるということは
昨年のこの時期に書きました
捨てることのできない品々に染み付いている歴史
それを教会が背負うということは信仰の中心でもあります
そしてさらに
今年はこれまでになかった体験をさせていただきました
これまでは
バザーの売り上げが福祉に用いられることを喜びつつ
また地域でリユースされることを喜びつつ
ささげてくださる方と出会ってきたのですが
今年は
キリスト者ではない!地域の方が
神にささげ
神によりその品が用いられることを喜びつつ
ささげてくださるという出来事と出会いました
ハッとしました
大切に用いてきたけれども
必要なくなり
捨てることはできずに寄付するときには
その品との歴史を神にゆだね
買ったものの
使うことなく
倉庫に眠らせていた新古品に関しては
その品と出会うことなく
品の生命を生かすことができなかった
という負い目の中で
その負い目を神にゆだねる
という
ちょっと私の持つバザーの意味を大きく広がるという事件と出会うことができました
教会は極めて頻繁に
キリスト者でない方々を通して
神と出会います
献品は偉大です
つまり
ささげることは神と共に生きることゆえに偉大です
ささげられるか否かは
人が幸せに生きるかどうかの相当に中心の鍵であることを再確認しました
もしかしたら
神がすべてをささげてくださることで生きるわたしたちは
ささげていただいたものをもらう
のではなく
ささげていただいたものをささげるのかもしれません
ささげていただいたものを
他者にも
そして
自分にも
ささげるわけです
極端な話しではなくて
みんなが幸せになりたいなら
この世界に
もらうという行為は本質的に存在しなくてもよくて
すべてはささげるという行為でいいのかもしれない
と考えるようになりました
誰かに何かをプレゼントされたとき
それを私は
もらう
のではなく
その誰かといっしょに
丁寧に自分に対してささげる
ということが起こり
さらに
プレゼントしてくださった方に
応答
をささげるということが起こる
のだなあと思いました
応答をささげるということにおいて
お礼を超えるのでもあるなあとも思いました
今週は毎日バザー準備
教会メンバーがびっくりするほど献身的に奉仕してくれます
おかげさまで
献品コーナーはいつでもバザーを開始できるまで整っています
これも教会メンバーのささげものです
ささげることが重なりに重なってバザーが成り立つ!!
だから
こんなにも大変な作業なのに
たずさわる人がとても幸せになって
疲労しているのだけれども
嫌な疲労でなく
しあわせとなっていくのだろうと
ちょっと確信しはじめてきました
バザーは11月3日(休)の朝10時~昼2時
みなさまのお越しを心よりお待ちしております!!
地域からの献品はいまのところ88件
例年どおりなら明日が献品のピーク
感謝!
献品は偉大です!
リサイクルショップでお金に換えるでもなく
捨てるでもなく
だからといって
経済的に余裕があっての
半ば施しというようなケースもなく
もちろん
ごみ処理というケースもなく
当教会のバザーのためにささげてくださいます
そしてささげてくださった方が
受け取ったわたしに感謝してくださいます
ささげて感謝
これはキリスト者の生き方そのものなのですが
それがバザーでは
キリスト者でない方にも起こされていく!!!
どえらいことです
献品の背景に
ささげてくださる方々の物語があって
それを聞く機会に恵まれるということは
昨年のこの時期に書きました
捨てることのできない品々に染み付いている歴史
それを教会が背負うということは信仰の中心でもあります
そしてさらに
今年はこれまでになかった体験をさせていただきました
これまでは
バザーの売り上げが福祉に用いられることを喜びつつ
また地域でリユースされることを喜びつつ
ささげてくださる方と出会ってきたのですが
今年は
キリスト者ではない!地域の方が
神にささげ
神によりその品が用いられることを喜びつつ
ささげてくださるという出来事と出会いました
ハッとしました
大切に用いてきたけれども
必要なくなり
捨てることはできずに寄付するときには
その品との歴史を神にゆだね
買ったものの
使うことなく
倉庫に眠らせていた新古品に関しては
その品と出会うことなく
品の生命を生かすことができなかった
という負い目の中で
その負い目を神にゆだねる
という
ちょっと私の持つバザーの意味を大きく広がるという事件と出会うことができました
教会は極めて頻繁に
キリスト者でない方々を通して
神と出会います
献品は偉大です
つまり
ささげることは神と共に生きることゆえに偉大です
ささげられるか否かは
人が幸せに生きるかどうかの相当に中心の鍵であることを再確認しました
もしかしたら
神がすべてをささげてくださることで生きるわたしたちは
ささげていただいたものをもらう
のではなく
ささげていただいたものをささげるのかもしれません
ささげていただいたものを
他者にも
そして
自分にも
ささげるわけです
極端な話しではなくて
みんなが幸せになりたいなら
この世界に
もらうという行為は本質的に存在しなくてもよくて
すべてはささげるという行為でいいのかもしれない
と考えるようになりました
誰かに何かをプレゼントされたとき
それを私は
もらう
のではなく
その誰かといっしょに
丁寧に自分に対してささげる
ということが起こり
さらに
プレゼントしてくださった方に
応答
をささげるということが起こる
のだなあと思いました
応答をささげるということにおいて
お礼を超えるのでもあるなあとも思いました
今週は毎日バザー準備
教会メンバーがびっくりするほど献身的に奉仕してくれます
おかげさまで
献品コーナーはいつでもバザーを開始できるまで整っています
これも教会メンバーのささげものです
ささげることが重なりに重なってバザーが成り立つ!!
だから
こんなにも大変な作業なのに
たずさわる人がとても幸せになって
疲労しているのだけれども
嫌な疲労でなく
しあわせとなっていくのだろうと
ちょっと確信しはじめてきました
バザーは11月3日(休)の朝10時~昼2時
みなさまのお越しを心よりお待ちしております!!