きぼう屋

生きているから生きている

寿町フィールドワーク

2011年02月10日 | 教会のこと
今週は
日本バプテスト連盟ホームレス支援特別委員会主催の
横浜寿町フィールドワークでした

とてもいい学びでした

寿町の雰囲気はこれまで味わったことのないものでした
あれはなんだろう??
とっても感覚的というか直観的な認識なので
なんとも表現のしようがないのですが
わたしとしては
教会としてホームレス支援をする際の肌に感じるものとして
今回の寿町から得た感覚を大切にしたいと思わされております

また
なか伝道所の宣教理念と具体的取り組みにも感動しました
伝道所の壁に貼ってある
主の祈りの意訳を見るだけでも
なか伝道所と出会った甲斐があるというものです

さらには当教会もよく讃美する子ども讃美
「キリストの平和」
の歌詞も壁に貼られていました

さらには
「キリストに従う」
ということをあらわす手話の絵も
貼られていました

これだなあ
と思わされました

わが京都教会は
そういう意味では

まだまだダブルスタンダードです

十字架の主に従う教会を目指しそうなりつつあるのと同時に
まだまだ自己利益、自己実現のための主をあがめる教会という面も消えていません

でも
なか伝道所はずばり十字架の主一本でありまして
目頭が熱くなりました

京都教会もさらに
丁寧に歴史を積み上げていきたいと思わされました

渡辺英俊先生の基調講演はすばらしかった!

とてもラディカルな神学を語ることもできる方ですから
神学議論のための講演となってしまう可能性もあるのですが

しかし
自らの寿町との出会いとかかわり、具体的施策を語り
最後に
そこから見えてきた彼の神学をできるだけわかりやすく語ってくださったので

神学原理に耳を奪われるのではなく
具体的に困窮にある他者にかかわる動機付けとして彼の神学を知るというかたちとなったので
逆にみんながその神学に納得することとなりました

わたしは最近思います

たとえば
神学の世界では
聖書学と教義学と歴史学で
聖書理解や信仰理解が異なり
その異なる部分でもって議論をするということがいまだに続いておりますが

なんだかつまらないのであります

わたしと渡辺先生の神学は当然相当に異なる部分があります
そもそもみんな異なります

しかし

それぞれの神学(信仰)から生まれる倫理が何か?
が大事なのであって

それぞれの神学(信仰)から
他者に出会い続け命がけでかかわりつづける
という行為が生まれるならば

そこにいたる神学(信仰)はすべてよろしいと思っています

だって
聖書でも
マタイとルカとヨハネとパウロは
みんな違うわけですし

でも

起こされている倫理は同じなわけでして・・・


逆に
困窮にある他者に命がけでかかわる
ということが具体的に起こされていないところの神学(信仰)、教会、キリスト者、
さらには牧師、神学者

神学(信仰)がどこかおかしい
ということだろうと思います

困窮にある他者に命がけでかかわる
ということがもはや起こされているならば
それが起こっている神学がそれぞれであったとしても
互いに批判する必要はなく
互いに嬉しく分かち合うということで十分だと思いますし
それ以上することは
結局極めて人間の思考を楽しませるだけなのだろうと思います


というわけで
今回の渡辺先生の講演は完璧でした

さらに
二日目の三森先生の組んでくださったプログラムも完璧でした

多くの参加者が涙した三日間

主と
寿町で活動されているみなさまと
参加者に
心から感謝