きぼう屋

生きているから生きている

利用から交わりへ

2008年08月31日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「死者との交わり」

ペシャワール会で奉仕する伊藤さんが、
現地アフガニスタンで殺された。

共に歩まれていたご家族、
ペシャワール会や
現地の千人にものぼる仲間たちの
悲痛を覚える。

ペシャワール会は、
キリスト者の医師、中村哲さんが中心となり、
冷戦の戦場となったアフガニスタンで苦しむ人々のため、
医療や看護を提供し、
また荒れ果てた土地の再生のため、
井戸や畑をつくることを担うNGOだ。

長い年月をかけて、
現地の人々との信頼関係を生み、
活動が祝されている。

しかし、
新世紀に、
再びアフガニスタンは戦場となり、
それは今も続く。

その戦争に、
日本も
後方支援というかたちで参加する。

そして戦争は、
今回も、
国、地域間を
単純に憎悪で満たす。

戦争でまず壊されるのは、
長年の関係から生まれる愛と信頼だ。
戦争の本質は、愛と信頼を壊すことだ。

そして関係が壊されると、生命も壊される。

これが、伊藤さん殺害の背景だろう。


伊藤さんのご家族やペシャワール会の仲間は、
伊藤さんの死を丁寧に受けていることが
報道からもわかる。
彼らは、
死者となった伊藤さんとの交わりを受け、
今後の歩みを決断している。
愛と信頼で結ばれた生者と死者は、
このようにして、
十字架の悲痛のうちに復活を受け、
共に歩み始める。

しかし、
世界と歴史を見渡すならば
愛と信頼抜きに死者について語るケースが
愛と信頼で結ばれるものよりはるかに多いことを
知らされる。

つまり、
死者との交わりを生きるのではなく、
死者を利用するケースが
歴史に
これでもかとあふれている。

今回も、
日本政府や一部の政治家が、
伊藤さんの死を利用した。

彼らは、
伊藤さんを殺したところの、
テロリストと呼ばれる者たちを全滅させるため、
後方支援という戦争協力を続けるべき
と、伊藤さんを利用しつつ語った。

平和においては、死者との交わりが生まれ、
戦争においては、死者利用が起こる。

これは銃を持つ兵隊のいる状況のみならず、
日常の生活でもあっけなく起こる。

だから日常生活を丁寧に省みたい。
そこにもし死者利用があるなら、
それは戦争の本質で生きることでしかない。
また神利用、他者利用があったなら
それも戦争の本質で生きていることの発見だ。

わたしたちは、
キリストの平和、
つまりキリストの真の関係に生きる決断を新たにしつつ、
死者、神、他者との交わりに生きる決断を強くしつつ、

だからこそ
伊藤さんを覚えて祈りたく願う。