きぼう屋

生きているから生きている

みんなの家

2009年03月22日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言

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「みんなの家」

今から4年前。
当教会に急にたくさんの小学生が集うようになり、当教会は喜びと衝撃を同時に受けました。
そして多くのメンバーが小学生たちのための奉仕を引き受けました。
しかしこの小学生たちを迎え続け、キリストを伝え分かち合うには、
教会全体の学びと経験が不足していたことが、
今はよくわかり、反省します。
しかし、それが現在の教会学校に結びついていることは、当教会の財産です。

そして3年半前の夏、
子どもたちは教会に2泊し、現在庭に建つ「みんなの家」をそれこそみんなで作りました。
釘を打ち、絵をデザインし、ペンキを塗りました。
もちろん「みんなの家」と名づけたのも小学生たちです。

しかし残念ながら、さすがにガタがきてしまい、
今では「みんなの家」に入るのも危険な状態となってしまいました。
そして今回の庭整備に伴い、いよいよ解体することとなりました。

そして本日午後は、「『みんなの家』お別れ会」が開催されます。
この家を作った当時の小学生の中には、4月から高校生になる仲間もいます。
そういう仲間が集まって、懐かしみつつ、「みんなの家」の意味を再確認したく願っています。
ぜひ当時かかわっていない方々も、お別れ会にご参加ください。

さて、
この企画は、教会全体の力不足を補いあまりあるほどに、子どもたちを引き受けてくれていた
F姉の発案と決断により、一気に実施が決まりました。
わたしはF姉の、子どもたちに「キリスト!!」教会!を経験させたい!
という思いを強く受け、感動したことを覚えています。

近代以降の世界の考え方や動き方が行き詰る今、
子どもたちがそれとは異質の「キリスト!!」教会を経験し、そこに生きることは不可欠なことです。

そして「みんなの家」企画はその重厚なテーマを持っていました。

キング牧師の公民権運動の根幹に、
閉じた意味での個人や家族のための思いや業や予定、社会での地位を守ることが大切にされる教会を改革し、
礼拝と信仰告白を死守し、共に教会を担い、聖書からの使命で生きる教会を再獲得することがあったことは意義深いことです。
(ボンヘッファーのナチズムの戦いの基本も同じ本質の教会改革にありました。)

そして現在も世界中の教会が改革を欲しています。

そんな中で「みんなの家」企画は当教会を揺らす勢いがありました。
当教会もキングの批判した教会観の中にあり、
その影響が世界の教会と同じく色濃く残ることを知るゆえのことだったと思います。
そして今なお、世界的に強力なこの影響を当教会も受け続けていることを知ることは大事です。

そしてこういう世界にはびこるところの、
キリストでなく人間中心の信仰観、教会観からの脱出は私たちの出エジプトです。

だからこそ、このたびの庭整備で取り壊しとなる「みんなの家」を、
本日は大きな意味を伴いつつ見送りたいと願います。

私たちは「キリスト!!」教会という「みんなの家」に生きています!!