Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

秋の新崎川

2013-10-13 21:32:11 | 自然

三連休の中日は絶好の渓流日和になった。夜勤明けを利用してドクター桜井氏と鶴巻温泉ホームにて電車合流する。秦野にて後続のロマンスカーに乗り換えできれば、湯河原駅10時発の「幕山公園」行きのバスに間に合う。小田急の改札でパスモカードの読み取り不調が発生してもたついていた為にあやうく予定電車は発車するところだった。小田原発JR電車のドアを閉じる寸前になんとかこじあけて車内へ入り込むことができた。これを逃すと次のバスは12時までないから必死である。幕山公園は連休のせいか、ハイカーが多い。萩は終わったが、ススキ、野葡萄等の雑草が植樹帯の隙間で秋を奏でている様子を楽しめるのも、徒歩釣行の素晴らしき余禄だ。

 

前回は竿先の事故があり気勢をそがれたが、今回も条件はよくない。渓流管理釣り場としては嬉しい家族バーベキュー日和である。竹竿に簡易仕掛けの子供達が歓声を上げる家族的幸福の構図がこちらには不幸な構図となる。ドクター桜井氏の上流はヤマメブロックで偏差値が高い。産卵期が近い為に禁漁寸前で釣り人は少ない。こちらはニジマス対象区でしばらくファミリー釣りの諸氏と隣り合って釣ることになった。

 

それでも5メートル強のアマゴ竿の試し釣りにはもってこいの場所である。幸運だったことは、ファミリー層には付き添いの婦人達もいて、ほとんどが午後になったらにわかバーベキューを済ませて退散してしまった。自分のエリアに隣接する下流には釣り残って警戒心が強まった残りマスの魚影も窺える。今回の餌はサケの卵の「イクラ」にしないでスーパーに売っていた珍しいアラスカ産という「マスコ」というイクラそっくりさんのマスの卵を使ってみた。これが食いがよく、下流の無人地区で効を奏した。三時を回って日が傾き始めるころまでに10数匹が魚籠におさまった。

無人エリアの拾い釣りでは、引きが強くなったニジマスとの駆け引きを楽しむことができて、これは「先憂後楽」というものだと思った。獲物の処理を思案したが、夕飯には塩焼きをして、あとはスーパー「フードワン」にて味醂、酒、西京味噌を購入。それらを和えた味噌に捌いたニジマスを漬け込んでみた。二日くらい経ったら賞味してみようと思っているところだ。


70ccの快感

2013-10-08 19:45:50 | JAZZ

 

大山やその背後に連なっている山を覆う雲は秋らしい淡い筋状の雲ではなくもくもくと隆起する夏雲のようだ。月に一度の検診日は気温も高いので座間から伊勢原まで友人からもらいうけた原付2種のスクーターを走らせることにした。病院へは朝一番の予約となっていたが、今日は珍しく診察時間のうんざり待機がなかった。午前10時前には処方薬をもらって病院を後にする。蒸すような好天になってしまったが、バイクは風を切るので心地がよい。県道の相模原、大磯線を走って国府津付近にまで足を伸ばそうという気分になった。バイクをもらいうけて以来の長い距離である。このバイクは本来は50ccなのだが、一癖もっていて凝り性な友人はこれをボアアップキットによって排気量を増やしている。数値上では70ccになって、申請も正規にしてあるから公道を走る場合の50cc規制には触れないから、50cc特有の緩慢性や法規制を逃れて走ることができる。もともと50ccにしては小さいボディに大きな7Psという公称出力を持っているバイクだ。前に持っていたHONDAのスーパーカブ90ccなどよりも鈍重な頭打ち感がない。速度的には50キロメーター付近のやや暴れ気味なトルクが図太くて痛快である。メーター表示はなんと60キロが上限なのだが、そこを振り切るのはおちゃのこさいさいという走行ペースである。アクセルグリップを不用意にブーストしようものなら前輪が浮き上がる気配だ。停止が意のままのせいか、二宮の梅沢海岸、大磯の生沢付近の豊かな田園地帯などいつもは見逃す場所に停留できるという幸せをもたらしてくれた。

国府津にあるカフェ「邪宗門」ではオーディオのイベントのお願いをしようと思って境内を訪れたが、あいにく檀家さんを集めた法要が行われていた。その法要ではどなたか、男性テノール歌手がマイクなしで「千の風になって」を朗々と歌い上げていた。西湘バイパスの橘インター付近には海沿いのNEXCO休憩所がある。ここで相模湾から吹いてくる南風をしばらく浴びて釜揚シラス丼600円を食べる。釜揚げシラス50円分くらいが乗っているだけの創意も工夫も感じられない素っ気ないメニューだが、前夜7時以来の絶食を満たしてくれる。食後はすぐ脇の東海道沿いにある「ホワイトオーク」でコーヒータイムとなる。本日のよく吹きあがってストレスなき70ccのツーリングの総走行はしめて100キロとなった。


カメラ本に刺激されて

2013-10-07 18:18:05 | その他

ライカ通で名高い写真家田中長徳さんの本を暇にまかせて読む。「カメラは詩的な遊びなのだ」(アスキー新書)というタイトルがいい。ブックオフの105円コーナーではなく300円というのは古書の新書にしては高いが、まだ発売3年未満の売れ筋本だから仕方がない。写真の技術論のことなら興味をもてないが、デジカメの日常的で詩的で粋なつかいこなしの心得がたくさん盛り込まれている。またミラーレス一眼で撮った北欧ヘルシンキの町やスナップのカラー写真事例集がこれまた詩的視覚とはどういうものか?ということへの豊饒なる模範解答になっているようでうれしい本である。

ちょうどこの本が出たころミラーレス一眼のオリンパスPENが世に出て、長徳さんはこれをアナログカメラのライカ等と同等に使い分けている。このミラーレスはマイクロフォーサーズという別称があるらしい。カメラ女子という呼称は山ガールと並ぶ近年のトレンド言葉のようだが、そのPEN以降のマイクロフォーサーズマーケットの活性に、女子パワーが一役買っている様子だ。そういえば先月のMM21エリアを散歩していて途中で少し会話した20代の女子二人連れを思い出す。一人はPEN E-2でもう一人は古色溢れるニコンのアナログカメラEMをぶら下げていた。横浜港の岸辺の雑草を接写していた。長徳さんの周りにもその類の女子がたくさんいるらしい。PENに嵌めた交換レンズにマニアライクなコンタックス用を使っていたものだから苦言を呈したという(120ぺージ)エピソード等も面白い。パンケーキというニックネームのついた17ミリのZUIKOレンズの方が粋なんだよ。ということをその女子に諭したとある。

 

オーディオでもマルチウエイで屋上屋を重ねて粋がっている人へ小さな口径のフルレンジのLE8T、755Eの奥深さを、音楽再生で黙って知らしめるような粋人を昔は見かけたものだが、最近は段々と見かけなくなってしまった。ヨドバシやビックカメラのマイクロフォーサーズエリアはデジカメをオシャレに持つことの喜びを見出したカメラ女子のニーズにも応えられるべく、各社共落ち着きを湛えたビンテージデザインで競い合っているようだ。長徳さんによれば、カメラ女子はカメラを持つことで「ライフスタイルを再構築」し始めているとのことである。以下この本の名言をピックアップしてみよう。

 

「つまんない毎日に気に入ったデジタルカメラが一台投下されることで、見慣れた風景や、路傍の花や、ペットや、お子さんや、何でもいいんだけれどさ、、自分の心の琴線に触れるものを写すことができる。カメラがなければ何気なく素通りしてしまう一瞬をすくいとることができるんです。。。。」

「日常性に浮いてきている“非日常的な象徴化“みたいなものが、我々の思考を直撃することがあって、それをそのまま拾い上げる、写真の奥義。。」「視神経につまずいたときがシャッターチャンス。。。」

こうした言葉の数々に発奮して雨が上がった工場の長閑な休日に点在している秋のシーニュでも拾っておこうという気分になってきた。自分のデジカメはマイクロフォーサーズよりも更に下流なレンズだけが明るいコンデジでこれを使い潰してやろうと意気込んでいるところだ。


お好み焼の季節

2013-10-05 11:08:39 | 

金木犀が咲きだした。膨大な花芽が秋雨にうたれて道端に積り始めている。闇夜を伝わってくるその匂いを嗅いでいると、秋の深まりを感じる。庭の片隅でポットに納めている「コート・ダジュール」も紫色の花を咲かせている。

朝方の倉庫付近の気温は19℃になっている。夜勤明けの帰り道はクルマの中でたいていNHKラジオを聞いていることが多い。およそ45分の道のりを、平日なら「すっぴん」週末だと「ラジオ文芸館」あたりの時間帯だ。水道橋博士とか高橋源一郎をパーソナリティに使って真面目なカジュアル路線を狙った「すっぴん」ではテレビで拝見したことがある少しドラ声の藤井アナウンサーが素顔の生彩感を放っているようでいつも気持ちがよい。土曜日は藤井アナウンサーが出ていないからがっくりしていたら、TV番組のPRが流れてきた。「あまちゃん」の後継番組「ごちそうさん」のことである。好きな女優の吉行和子、財前なおみ、が出演するなら観たいのだが、座間へ引っ越して1年も経っているというのに地デジの接続ができない。座間はすぐ真上を米軍の戦闘機が轟いている地域だ。電波障害対策もあって共同受信にでもなっているのかもしれない。尋ねることも面倒くさいのでTV、デジタルチューナーなどをセット済みにもかかわらず、放置1年となってしまった。

そのPRでは「ごちそうさん」の素案を作ったチーフプロデユーサーが登場している。岡本ようこさんという女性が番組趣旨を素晴らしく明晰に語っていた。あの「あまちゃん」でさえ大衆食堂などで覗き見した機会もあった。意識していれば放映場面は町の片隅でも遭遇しそうだ。その岡本さんの説明には大阪食文化圏の「始末」ということの面白さにも触れられている。その説明を聞いていたらケチの次元とは異質な繊細に凝りまくっている美味しい簡単フードが連ドラに登場してくる気配がしてくる。これはTV接続を急がないと思っていたら雨足の強い座間に到着した。

朝飯を思案してみるが買い置き品は、相変わらず散漫である。「始末」という言葉にヒントを得たのだから、なにかないものかと思っていたら「お好み焼」ならできそうだ。気候も涼しい、夏場には縁がなかった簡単メニューである。小麦粉、卵、キャベツ、粉海苔、干しエビまでは在庫している。これにあり合わせのウインナソーセージを輪切りする。竹輪もあった。邪道でも「始末」が趣旨である。粉に対する水の分量がセーフだったようだ。弱火でゆっくり焼き上げる。両面には適度に焦げ色をつける。中はキャベツから滲んだ水気が潤いを与えている。直径25センチのお好み焼が仕上がってようやく朝飯の代用となる。いつもソースと醤油を半分づつに分けて味わうのだが、今日は醤油との相性がよかった。


DUGで一息

2013-10-03 22:25:03 | JAZZ

打ちあわせ時間には少し早く新宿へ到着する。「かのや」にて「とろろせいろ」480円の立ち食いの昼食になった。付近の立ち食い蕎麦を凌駕している茹でたて蕎麦のよく締まった味わい!しかし量の少なさも関西気風的狡猾路線が滲みでていて残念也。どこかで食後のお茶を思案していて東口、新宿通りへ出る。紀伊国屋ビルを抜けるうちに久しぶりの「 DUG」にてジャズを聞きたくなった。

アドホックと向かい合っていたあの味わい深い旧「DUG」はすでにない。あちらでは千駄ヶ谷のジャズカフェが最終期になっていたころの村上春樹にもよく出くわしたことがある。何年ぶりだろう。後発の靖国通り「 DUG」もすっかり貫禄がついている。床も煉瓦、壁も煉瓦の室内はめまぐるしい変貌が特徴の新宿ではすでに立派な古典店舗になりきっているようだ。

客は午後の半端時間に入って数人、それも50歳以降の男性客ばかりだ。みんな、新宿へ来たら足が向いてしまうという若き日からの習い性のせいだろう。珍しくパイプをくゆらせている紳士を見かける。パイプの煙と「DUG」はお似合いの光景である。

BGMはCDでベニー・グッドマンバンドの麗しい数々のヒット曲が流れていてとても気分がほぐれる新宿の午後である。途中のシンガーが歌う「そして天使は歌う」などは大昔のマーサ・ティルトンの歌が好きだが、この声の抑揚はヘレン・フォレストあたりだろうかと推測しながら聴くのも面白い。

展示しているモノクロ写真はセロニアス・モンク、アリス・コルトレーンと打ち合わせをしているジョン・コルトレーン、いかにも硬骨な時代を生きてきた「 DUG」オーナー中平穂積さんの気質を反映した新宿ジャズ遺風を感じさせる景物である。コーヒー420円を飲んでから小田急ハルク2Fの「ビックカメラ」を眺めていたら、打ち合わせの午後3時が近づいてきて、西口交番前へと向かう。