Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

思索者・吉本隆明さんの死

2012-03-16 17:03:40 | その他
遺跡発掘の土方バイトを四日続けるとどこか身体の遠くの方で軋み音が聞こえてくるようだ。就労してからまもなく丸四ヶ月を迎える。工事現場に隣接する竹林では鶯の地鳴きも始まった。大きな空き地の上空には雲雀がやってきて、まだまだ遠慮勝ちに囀ってホバリングを繰り返している。春はそこまでやってきているのに、吹き寄せる風はまだまだ冷たい。

予定に沿った休日をとって遅めの起床ができたせいか、今朝は落ち着いた気分で自炊の朝食ができた。小さな蟹をあしらった鉄絵模様の土鍋に冷や飯をいれていつものお粥を作る。副菜は油揚げの煮物、ロースハムと目玉焼きという組み合わせで、食後に七沢在にある小金井酒造製の夜半に煮込んでおいた甘酒をコーヒーカップで喫する。こんなに酒精のよき香りを温存させる上品な酒粕には滅多にお目にかかれないもので地産地消の恩恵とはこういうものを指すのだと痛感する。

コーヒーを飲みながらパソコンを開いてみると、YAHOO時事ニュース欄に批評家吉本隆明さんの逝去が報じられている。自宅に近い文京区・千駄木の病院で肺炎を悪くして亡くなったらしい。87歳。感無量!の思いがする。

「南無阿弥陀仏」の復唱こそが現代の親鸞者吉本隆明にはぴったりだと思い、我が家に残っている吉本さんの著作50余の単行書籍の傍らに春めいたあぶら菜の黄花でも添えることが、「庶民吉本隆明」(詩人谷川雁の造語)にふさわしい手向けにつながればよいと思う。

自分が17才の青二才というべき時期に出会った「抒情の論理」(1959年未来社初版)や「芸術的抵抗と挫折」以来、この詩人、批評家から教えられたた思索上の影響や衝撃は測り知れないものがあって宗教学者の中沢新一の言葉ではないが、以来、ことあるごとに吉本さんだったら、この事態をどう考えるのか?と想像を巡らせる癖が数十年に亘ってついてしまったようである。

論争家だった吉本さんも後期では敬愛すべき知友埴谷雄高とは高度消費社会をめぐって「荒地」の沈鬱なる巨匠鮎川信夫とも反核署名の余波めいた諸々で袂を分っている。オウム事件では初期の原始キリスト教論から一貫する立場を主張して家族からも総スカンを食ったようだ。「死ねば死にきり」という言葉は吉本さんの好きな言葉だったようだが、どうか安らかに成仏されることを祈ることにしよう。