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ヒカルの碁をもう一度

2009-04-17 16:40:37 | Weblog

もう2週間くらい前の話しですが、4月4日の日経新聞の夕刊を流し読みしていたところ「ヒカルの碁をもう一度」というタイトルの記事が目に飛び込んできました。

『おっ、再開か!?』と思った私は、『きっと佐為はまだ囲碁に未練があって成仏できなかったに違いない。そして今度は別の子供(今回は女の子でもいいかも)に宿って成長したヒカルと対決するんだな...そうに違いない。』と瞬時に判断して、新聞記事を読み始めたのでした。

ところが...「ヒカルの碁をもう一度」と願っているのは囲碁の日本棋院で、以前のヒカ碁のブームで一時囲碁人口が増えたときのあのフィーバーの再来に期待を寄せているという内容の記事でした。残念!

日本棋院では「囲碁マンガ原作大賞」を創設していて、今年は2回目だそうです。今回は七十四通の応募があり、5月半ばに発表があるとのこと。

囲碁や将棋というのは飛んだり跳ねたりというアクションが無く、「ピシッ!」「パシッ!」と石音や駒音が響くだけなので、マンガの題材としては作りにくいでしょうね。

将棋のほうは、「22角成りいいいーーー!!!」「なにいー!?」とか「かかったな!奇襲戦法ひねり飛車ーーー!!うわーっはっはっはー」「げえっ!!」みたいなけっこう派手っぽい技などがあって、まだしも作りやすいかもしれません。

でも囲碁のほうは、「黒10-11?...そんなんで手になるのか???」といった具合で一段と地味。囲碁雑誌など囲碁に興味がある人向けの本因坊秀策物語とかであればわかりますが、少年雑誌では難しいと思っていました。

でもヒカルの碁はおもしろかった。

進藤ヒカルという普通の少年に、平安時代の天才棋士・藤原佐為が取り憑いた...この時点でヒカルは他の少年には無い力を持ったわけです。

のび太のドラえもんもそうですが、主人公のかたわらに夢のような願いを叶えてくれるパートナーがいる、という設定はまず間違いないんですよね。現実にはありえない夢だし。

ヒカルは佐為のことを「犬っころみたいなやつ」と言っていました。佐為はあの本因坊秀策として囲碁を打っていた時期もあったわけですから、もっとずっしりと威厳があるキャラとして佐為を描いてもよさそうなものです。

でもライトな友達感覚なところが、子供の読者にもうけたのかもしれません。

私が好きだったシーンは、ヒカルと佐為がインターネット上の強豪達と囲碁を打ち次第にネット上で知れ渡っていく場面。それから佐為が消えて囲碁を打つことをやめてしまったヒカルが、伊角との一局で自分の棋譜の中に佐為を見出すシーンが今でも心に残っています。

顔も正体もわからないSai(サイ)という人物に、ネット上の碁打ち達が徐々に魅かれていく過程がいいですね。また自分で打った棋譜の中に佐為の打ち筋をみつけ「こんなところにいた...」というシーンは、ヒカルでなくとも泣けます。

ただ単に囲碁の勝ち負けだけでなく、棋譜や打ち筋の中にその打ち手の発想や人格までもがにじみ出るというところまで深く描いたことがこの作品のすばらしさだと思います。

ヒカルの碁を読んで、自分も本因坊秀策の棋譜を並べることであの伝説的な碁聖と対話ができるんだ、と思った人も多いのでは?もちろんそのためには大変な囲碁修行が必要でしょうけど。

上の画像で佐為みたいな人が「もっと打ちたい...」と言っております。

再び降臨することは...ない?






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