本編はこちら⇒ 【時空マジシャン】英語版 Chapter.2 本編5ページ
前回【時空マジシャン】英語版の更新をしたのは7月でした。ということは?...あれからなんと2ヶ月経ってしまった!?...そ、そげなこつΣw(゜д゜* )wゲゲッ!!
と言いつつも本当は心の中で『英語版やらねば、訳さねば...』と思いながら、ついつい後回しにしてました。
何度もこのブログに書いているかもしれませんが、辞書を片手に英訳し始めると常に頭をもたげるひとつの思いがあります。 『日常会話でほんとにこんな言い方するんだろうか?...たぶんしないよね』という疑問。
そして同時に湧き上がる『もし変な英訳してたら恥ずかしいなぁ』という気持ち。 もしかしてこれが先祖から受け継いだ日本人の恥の文化というものだろうか? 遺伝子が発動して『うう、恥ずかしいよー』と思わせているのだろうか?
その思いがついつい英語版の更新を滞らせている?
と、英語版を後回しにしてしまう理由を分析してみましたd(o^皿^o)。 いくら分析したところで英訳は進みまへんで。
そう、でも変な英訳のセリフを書いていたら恥ずかしい、という気持ちは常にあります。
中国人が使う日本語で「大丈夫ある」とか「美味しいある」という言い方があるじゃないですか。 実際私の知人の上海の人もそういう「~ある」という言い方をしてました。
日本人からみれば変な日本語には違いありませんが、本人はぜんぜん恥ずかしそうに喋ってはいませんでしたし、私も『うわー、変な日本語でみっともないなぁ』なんてこれっぽちも思いませんでした。
だから「そういう言い方はしないよ」というような英訳であっても、別にそんな恥ずかしがらなくてもいいんですよね。将来英語力が上達したときに改めて見直したら、『お、この訳ちょっと変だったな。直そう。』でいいわけです。
『よし、これからは恥ずかしがらずにいこう!』
恥ずかしいといえば、私が中学生だか高校生のころ友達がおもしろいことを言ってました。
友達:「あのさぁ、落語家が羞恥心を克服するための修行法知ってる?」
私:「知らない」
友達:「まず電車に乗るだろ、そして車両の隅っこに行って新聞紙をひくんだよ」
私:「うん」
友達:「その新聞紙の上でうんこするんだよ」
私:「ええーっ、なんだよそれ!」
友達:「そうすると乗客がみんなびっくりしてこっち見るだろ? うんこしながらその視線をはね返すように逆ににらみつけるんだ」
私:「............」
友達:「この修行を乗り切ると、なにをやっても恥ずかしいことはなくなるってわけ」
私:「...そこまでやるか!?」
この話をした友達がだれだったか思い出せないんですけど、話の内容はいまでも強烈に憶えてます。
しかし本当にそんな修行した人いるんですかね!? すぐ逮捕されちゃうだろうし。
でもこの話思い出しただけでも、英語の間違えなんかぜんぜん恥ずかしくない気持ちになってきました。
こんど英訳するときは、この話を思い出しながらやろう(o^Д^o)。
前回【時空マジシャン】英語版の更新をしたのは7月でした。ということは?...あれからなんと2ヶ月経ってしまった!?...そ、そげなこつΣw(゜д゜* )wゲゲッ!!
と言いつつも本当は心の中で『英語版やらねば、訳さねば...』と思いながら、ついつい後回しにしてました。
何度もこのブログに書いているかもしれませんが、辞書を片手に英訳し始めると常に頭をもたげるひとつの思いがあります。 『日常会話でほんとにこんな言い方するんだろうか?...たぶんしないよね』という疑問。
そして同時に湧き上がる『もし変な英訳してたら恥ずかしいなぁ』という気持ち。 もしかしてこれが先祖から受け継いだ日本人の恥の文化というものだろうか? 遺伝子が発動して『うう、恥ずかしいよー』と思わせているのだろうか?
その思いがついつい英語版の更新を滞らせている?
と、英語版を後回しにしてしまう理由を分析してみましたd(o^皿^o)。 いくら分析したところで英訳は進みまへんで。
そう、でも変な英訳のセリフを書いていたら恥ずかしい、という気持ちは常にあります。
中国人が使う日本語で「大丈夫ある」とか「美味しいある」という言い方があるじゃないですか。 実際私の知人の上海の人もそういう「~ある」という言い方をしてました。
日本人からみれば変な日本語には違いありませんが、本人はぜんぜん恥ずかしそうに喋ってはいませんでしたし、私も『うわー、変な日本語でみっともないなぁ』なんてこれっぽちも思いませんでした。
だから「そういう言い方はしないよ」というような英訳であっても、別にそんな恥ずかしがらなくてもいいんですよね。将来英語力が上達したときに改めて見直したら、『お、この訳ちょっと変だったな。直そう。』でいいわけです。
『よし、これからは恥ずかしがらずにいこう!』
恥ずかしいといえば、私が中学生だか高校生のころ友達がおもしろいことを言ってました。
友達:「あのさぁ、落語家が羞恥心を克服するための修行法知ってる?」
私:「知らない」
友達:「まず電車に乗るだろ、そして車両の隅っこに行って新聞紙をひくんだよ」
私:「うん」
友達:「その新聞紙の上でうんこするんだよ」
私:「ええーっ、なんだよそれ!」
友達:「そうすると乗客がみんなびっくりしてこっち見るだろ? うんこしながらその視線をはね返すように逆ににらみつけるんだ」
私:「............」
友達:「この修行を乗り切ると、なにをやっても恥ずかしいことはなくなるってわけ」
私:「...そこまでやるか!?」
この話をした友達がだれだったか思い出せないんですけど、話の内容はいまでも強烈に憶えてます。
しかし本当にそんな修行した人いるんですかね!? すぐ逮捕されちゃうだろうし。
でもこの話思い出しただけでも、英語の間違えなんかぜんぜん恥ずかしくない気持ちになってきました。
こんど英訳するときは、この話を思い出しながらやろう(o^Д^o)。