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動画・音声・インタラクティブ性などで織り成す新スタイルのマンガ制作日記

ストーリーボードの最終ページ(iBooks Author制作日記36)

2013-06-26 19:12:54 | iPad版制作日記

電子コミック【ナナのかぼちゃパン】のストーリーボードの最終ページです。

ナナが「よっしゃぁ!」と言いながらカメラに向かって走ってくるシーン。

上の鉛筆画でも、ぶれ感を出そうとエッジのところに細かい斜線を入れてますが、本編ではナナが走ってきて顔のズームアップでストップ、画像にはモーションブラーをかけようと思ってます。

ナナのズーム画像の動きが止まると同時に、エンディングサウンドがスタート。って書くとかっこ良いけど、こんな短編に大げさな曲がかかるとバランス悪いので、ほのぼのとした軽い曲を探しているところです。

【時空マジシャン】というWebコミックを制作しているときは、主人公がダンス好きという設定だったので、ダンサブルなサウンドパーツを組み合わせるツールなどを使って自分でもけっこう楽しみながら背景曲を作ったりしていました。

今回はそのゆとりが無いので、フリーで使わせてもらえるサウンドから選びます。

ダンス系の曲と違って、ほのぼのとした軽い感じの曲というのはパーツを組み合わせるというわけにはいきませんしね。そうか...ナナをダンス好きという設定にしておけばよかった(゜Д゜;)。

自分はディスコ系ダンス世代の初期の部類です。

ヴァン・マッコイの「ハッスル」あたりから始まって、KC&ザ・サンシャインバンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」くらいの時期に盛り上がって、ビージーズの「サタデイ・ナイト・フィーバー」あたりで引退という感じでした。

この頃もちょっととち狂っていましたね、いやかなり狂ってました。

6月4日のブログ「続・アイデンティティの目覚め」で書いたように、「子供のころから、日本茶と大福よりコーヒーとシュークリームのほうが好きだったし.........つまり日本文化に背を向けて西欧文化の方を向いて育った」という同じ流れです。西欧文明にガツーンとやられっぱなしでした。

ヨーロピアン・コンチでびしっと決めて、VALCANの香りをぷんぷんさせて、六本木や新宿に繰り出していく自分を見て周りの人は「いったいどうしちゃったの?」と声をひそめていたものです。

完全に自分の文化が崩壊してしまっていた時期ですね。

でも高校時代の友達も、もう学生運動の嵐は過ぎ去っていたにもかかわらず□○派とかに入って活動していたやつもいたし、まぁ若気の至りの青春時代だったんでしょうね。

だからいいんですよ、自分の文化が崩壊しても、ぜんぜん自分らしからぬ世界に入っちゃっても、それも自分だし、もし元の自分に戻れないようであればそれは本来の自分じゃなかったんじゃないですかね。

どうも最近はマンガ関連のネタ切れなのか、すぐに話が逸れて自分史みたいなのばかり書いてしまいます。

いかんいかん、このブログはマンガとその制作のことだけ書こうと決めているのに。

でも電子コミックの制作要素の一つであるサウンドのことだから、多少逸れてもいいでしょ、問題無し。





トランスピュータ(iBooks Author制作日記35)

2013-06-18 18:41:20 | iPad版制作日記

上の画像は、前回ストーリーボード用としてお見せした鉛筆画を本編用にレンダリングしたものです。

真正面から描くつもりでしたが、どうも別人のようになってしまい、【ナナのかぼちゃパン】の冒頭で出てきたお客のおねえちゃんだと気付いてもらえないといけないので、横向き画像にしました。

セル画調にしているつもりですが、何かあまりその効果が出ていなくて中途半端な感じ。自分の中では、これからもっとセル画調を強める方向性になりつつあります。いや、もしかしたらセル画調を通り越して手描き調にどんどん崩していくような予感が...( ̄∇ ̄;)。問題はそのやり方ですが。

もともと自分はコラージュのような手法が好きで、2DCGとか3DCGの長所を取り入れつつ、さらに写真や物質素材そのものを取り込んで合成するようなことも時々やります。

最終的に出来上がった画像が魅力的であれば、どのCGツールを使おうがポストワークをばんばんやって3D空間を歪めようとも、制作過程が合理的でなくても、それらにとらわれることはあまりありません。

「CGツールにとらわれることはない」と偉そうに言ってますが、それはつい最近のことで、昔はおもいっきりとらわれて振り回されてました。

今でも思い出すのは、「C-TRACE」という自分が3番目に使ったCGツールのことです。当時、NECのPC-9801RXというパソコンとフロッピーディスクでCGをやってました(・ ・;)。

「C-TRACE」はレイトレーシングの3DCGソフトで、きれいなレンダリングをしてくれるツールでしたけど、いかんせん演算が遅かった。まあそれはCPUのせいですけどね。コプロセッサという浮動小数点演算装置を挿してましたけど、1ピクセルごとにプチ......プチ......プチ......プチ......プチ......という感じでモニターに描画するんですよね。

夜、寝る前にレンダリング開始して、プチ......プチ......っと画像が描かれていくのを見ながらベッドにもぐり込む。そして朝起きてわくわく期待しながらモニターをのぞくと、『まだ半分しかできてない...ガクッ』という感じでしたね。

その激遅なレンダリング速度を数倍の速さにしてくれる「トランスピュータ」というボードが売られていました。いかにも速そうな名前でしょ?

『これだ!これさえあれば何だって描ける!!人生が変わる!!!』と思ったものでした。

でもとても高価なものだったので、当時の自分の稼ぎでは手がでなかったんですよね。今思えば買わなくて良かったんですが、トランスピュータ。

そうなんですよ、そのころからかなぁ、『このツールさえあれば...』というふうに振り回されるようになったのは。このハードウェアさえ使えれば、このソフトウェアさえ手に入れば、自分の作品がすばらしいものに生まれ変わるかのように思ってしまってたんですね。ツールはあくまでも自分の能力を補助する道具に過ぎないのに。

でも実際、画質をあまり落とさずにファイルサイズを劇的に圧縮してくれる優れものの圧縮ツールがなければ、自分の仕事は成り立たなかったわけです。

また、「Macro Mind Director」というオーサリングソフトに出会ったおかげで、自分の感性を生かしたCD-ROMコンテンツなどを作ることもできました。

ですから優れたツールとの出会いが仕事を支えていたのも事実です。とは言うものの、ツールに振り回され何か大事なものを見失っては本末転倒なわけで、やはりその当時なにか狂っている時期がありましたね、うん。

でも、でも、『あの鬼のように高性能なワークステーションと、セットで販売されているモデラーとレンダラーさえあれば...』と夢みた日もありました。

そうそう、プリミティブの組み合わせでしかモデリングができなかった自分にとって、人体のような自由曲面体が作れるメタボールとか、うらやましかったんですよね。メタエディターのサイバーな画面が頭に焼き付いて離れなかったものです。

実際、高機能高価格なワークステーションと最先端のCGツールでしか表現できなかった画像・映像で仕事をし、その利益をさらに先端の機材とCGツールにつぎ込む、というやり方で仕事をしていたクリエイターの方もいたようです。

もし自分が清水の舞台から飛び降りるつもりで大借金をして、最先端の機材を導入していたとしても、思ったような作品は作れなかったでしょうね。きっと灰のように燃え尽きて終わっていたと思います。

話を戻して、そういったツールの呪縛にとらわれなくなったのはそう昔のことではないというわけです。昔のスーパーコンピュータを凌駕するPCが低価格で売られ、人間のような複雑な形状もモデリングできるCGツールも安価で手に入れられるようになったし、CGの達人でなくても楽しめるPoserのようなソフトも現れました。

だからもう『あのツールさえ手に入れば...』とか振り回される必要もなくなり、後は作るだけ。

自分もあの当時燃え尽きていたら、たぶん創作意欲も枯渇してしまい、今こうやって自分に最も適した制作スタイルも模索することもなかったでしょうね。

そういえば、先ほど自分が3番目に使ったCGツールが「C-TRACE」と書きました。ちなみに1番目は、「FMグラフィックエディタ」。2番目は「スーパータブロー」というソフトです。

いや~、いろいろ想い出してきましたよ。そういえば、その当時職場では「Z's STAFF KID98」というグラフィックソフトを使用してました。う~ん、懐かしい。懐かし過ぎてくらくら眩暈がしてきた。

今日は、コラージュ的な電子コミックの描き方について書くつもりだったんですが、「C-TRACE」あたりからどんどん話が逸れてしまいました。

なぜか古い記憶に結び付いている脳神経が急に太くなったような(´^ω^`)。

いや~、長々と書いてしまった。





続・アイデンティティの目覚め(iBooks Author制作日記34)

2013-06-04 18:49:28 | iPad版制作日記

このページを含め残り2ページ。やっとここまでたどり着きました。

このマンガの最初のほうで出てきた、かぼちゃパンを買いにきた客のおねえちゃん再登場。

上の画像は掲載用ストーリーボードの鉛筆画です。ここまでの制作にあまりに時間がかかったため、おねえちゃんの顔を忘れちゃって2ページ目の画像を見て思い出しながら描きました( ̄∇ ̄;)。

「あっ、かぼちゃパンだ!」「あるじゃないの、やっぱり!」というわけで、ついにナナのかぼちゃパンがお店に並んだようです。

さて電子コミックのほうはこれぐらいにして、前回の続き【続・アイデンティティの目覚め】を書きます。

ニューヨークの路上で売るために私が描いた画は水墨画風のものでした。

特に水墨画の経験があったわけでもないし興味があったわけでもないのに、ごく自然にそれを選び描いていました。正確に言うと色紙に墨汁か水彩絵の具の黒で描いた、自己流の水墨画風の画です。

なにを描いたか...それがはっきりと思い出せないんですよね。遠景に富士山、手前に枯れ木、その木の下に何か動物を描いたような気がするし。竹林に伊藤若冲風の虎だったような気もするし。

その当時、自分はメキシコの呪術的な香りがする民族美術や、アフリカの大地が産み落としたような素朴な力強いアートに興味がありました。鮮やかな原色であったり、骨太でプリミティブなパワーに惹かれていたんですよね。

だから日本的な油脂分のない枯れた味わいや繊細さは、嫌いではなかったけどあまり魅力を感じませんでした。

子供のころから、日本茶と大福よりコーヒーとシュークリームのほうが好きだったし、焼き魚定食よりだんぜんハンバーグ定食でした。学生時代は演歌よりロックやポップスを聴いていました。つまり日本文化に背を向けて西欧文化の方を向いて育ったんですよね。

正直に言うと、やっぱり西欧の文化のほうがかっこ良かったし圧倒的に魅力的でした。

そんな自分がマルチ民族のニューヨークにポツリと立ったとき、やせっぽちの日本人顔の男が和風の画を路上に並べて売っている姿を斜め上空から俯瞰し、ごく自然に抵抗もせず受け入れていました。

マンハッタンの道端何箇所かで店を開いたと思うんですが、はっきり憶えているのはライオンの像があるニューヨーク公共図書館の階段のところ。

色紙のサイズによって3種類の作品を描き、値段もそれぞれ3ドル~15ドルだったか、5ドル~25ドルだったか、記憶が曖昧です。

売れたか? 1日、2~3枚くらい。最高で5枚くらい売れた日もあったような。

いかにも古き良き時代の雰囲気をしたアメリカ人の老夫婦が、相談しながら1枚買ってくれたときのことはよく憶えています。

「アイデンティティの目覚め」と書きましたが、この時点では「アイデンティティの芽生え」程度ですね。

そして、日本人の向上心や勤勉さであったり、最近よく言われる日本人の民度の高さを知り、『日本人に生まれてよかった!』と思えるようになるのはずっと後のことです。

しがない一介のクリエイターにもあった目覚めのとき、でしたd( ̄∇ ̄*)。