ひつじっく Style♪

♪シャロンとダニエルの夫婦でアカペラ多重録音♪
雨の日も風の日も晴レルヤ!

家族の原景( シャロン )

2010年02月03日 | 日記
母が突然に旅立って2週間が過ぎました。

今日は母が亡くなる少し前に一緒に観に行く約束をしていた映画[ おとうと ]をひとりで観に行きました。
母の遺骨をそっとカバンに偲ばせて…

映画は、しっかり者の姉と、心が弱くてきちんと生きられず家族に迷惑ばかりかけている、けれどどこか憎めない愛すべき弟との交流を軸にした温かな人間ドラマ…
弟役のつるべさんが上手くて、いい映画でした

最近、実家に泊まる日が増えて妹といろんな思い出話をしています

私が9歳になる少し前に、闘病中だった父が亡くなり私たちは家族3人で暮らしてきました。
美容師だった母は自分の店を持って、懸命に働きながら私と妹を育ててくれました。

その頃に3人で出かけた万博( 1970年に大阪で開催された万国博覧会 )の写真があります。
多分、夏休みだったのでしよう、眩しそうに目を細めてわずかに微笑む私と指をくわえて不安そうな面持ちの妹、そして黒ぶちの眼鏡をかけた母の表情は硬くこわばり、張り詰めた気持ちが伝わってきます。

父親が居なくても、両親の居る家族と同じように、いやむしろそれ以上に豊かに暮らしたい…
幼い私たちにみじめな思いをさせないために、そして自分自身のプライドのために母はパワフルに突き進みました。
仕事第一、そしてお客さん第一…

その頃の母のイメージは、とにかくいつも時間に追われて大変そうだったこと、そして仕事を終えた夜には疲れた顔をしていました。
妹は今でも、母は常に怖かった、と言います。

けれど、そんな忙しい日々の中でも毎日、必ず手作りの夕食を用意してくれて洋服も何着か縫ってくれた母…古い写真の中には妹とお揃いのセンスの良いワンピースなどを着たものも何枚かあります。
本来は女性らしい、愛情溢れる人だったのだと思います。

自分自身、何かに甘えることなく、そして私たちにも甘えを許さなかった母…
私も妹も母に褒められた記憶はほとんどありません…

大人になって、少しは母の本質を理解した私ですが、やはり母への思いには複雑なものがありました。
同年代の人たちから「母親は最愛の存在、大切にしたい」という言葉を聞くと素直にそう思えない自分がとても嫌でした。
ひとりで苦労して育ててくれた母を大切に思えない冷たい自分が…

それでも、晩年、特に仕事を辞めてからの母とはひんぱんに映画や食事、温泉などに行きました。
結構な毒舌だった母とも仲良くしてくれたダニエルと、3人で出かけたりもして楽しい思い出も沢山あります

…今日、映画が終わってエンドロールが流れた時に、隣に母が居ないことがしみじみ寂しくて、いっぱい泣いてしまったシャロンです。