旅路 とまりぎ

いくつかのグループでのできごと(主に旅)

洗足池

2009年06月09日 | 自転車
洗足池
とまりぎ
 東急池上線の洗足池という駅から近く、中原街道に接して洗足池公園がある。過去に行ったことはあったのだが、はっきりした記憶があまりないので、地図で目にするたびに、近くに行ったときには寄ってみようと思っていた。

 10月の休日、自転車での体力維持のために目黒通りを越え、五反田の衣料品セール会場へ寄った。その帰り道で中原街道を西へ、途中武蔵小山商店街で昼食をと見ると、駅近くの焼き鳥屋で焼きたての鳥、これを数本。素材が新鮮なのか、レバーもうまい。これだけでは足りないので、商店街のなかの喫茶店でパンとコーヒー。
 さて、洗足池へ向ってみようかと、また街道沿いに走る。環七を越え長原を左に見ながら坂を下ると右に洗足池公園。池に沿って右回りに入る。足こぎボートがいくつか動いていて、奥の方には蘆と思われる背の高い水辺の草が群れになって立っている。
 さらに回ってみると、寺のような古い建物と新しい図書館が隣り合わせに池側にあり、反対側には勝海舟の屋敷跡の碑が見える。ここで図書館側から池の縁へ出る遊歩道のような細い道を歩いてみる。池へは短い階段があり、下りると池のすぐそばへ立つことができる。水面近くから見ると思ったより広い池だ。向い側には遠くに黄葉が始まっているなかに、太鼓橋が見える。
 先ほど通った長原の地名が気がかりになって、その記憶をたどってみると、終戦直後の五反田から池上線、長原駅から歩く途中の家の低い大谷石の塀、数年前に亡くなった叔母、会った記憶にないほど昔に亡くなったその夫の画家など、あれは長原だったのだということを思い出した。
 戦前、五反田あたりには太宰治など作家の多くが住んでいた所のようだから、今は都営線には馬込といった駅名があり、画家であったとすれば、このあたりに住むことをあたりまえのように思っていたのかもしれない。病弱であったようだから、そう遠くへ出かけることもしなかっただろうし、洗足池は格好の写生地であったかもしれない。
 亡くなってしまうと、叔母はひとり娘を夫の実家へ預け保険関係で働き、十数年経つとある程度自立できるようになってきた。そこで念願であった娘を引き取り、親子二人の生活がはじまった。娘は実家が裕福だったのか、その経緯の詳しいことはよくわからないが、お嬢さんに育てられていた。

 戻って、駅前まで行ってみる。駅は地下になってしまい、記憶の断片と繋がるものがまったく無くなって、そこから先へたどることができなくなった。駅の入り口を背にして見ると、新しい商店街は新しい建物ばかりになっている。どこの私鉄沿線でも見るような風景で特色がないから、初めてではないはずなのだが、あまりにも変わっていてまるで地方都市の知らない町の中に入り込んだかのような錯覚を覚えた。
コメント
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