本寺・乗泉寺の南西角の交差点は「猿楽町(さるがく・ちょう)」という。
写真を直進すると乗泉寺・正門。右折すると南門。右奥の木々が乗泉寺の境内。
能で有名なのは、観阿弥・世阿弥の親子である。南北朝から室町時代の猿楽師であり、能(猿楽)を大成させた功労者である。
猿楽は狂言と合わさり、明治以降には「能楽」と呼ばれるようになった。奈良時代に中国から伝わった散楽がルーツだという。
能のことは詳しくない。ただ、雅楽、舞、面など、日本の伝統芸能のイメージは、なんとなく頭に浮かぶ。そんな程度の知識である。
猿楽町の由来はあらためて調べてみるとして、今回は、能の舞台の一場面について記事を書くことにする。
なにかの本で、能の一場面を懐旧していた文章があった。
舞台の一番最初、観客すべてから注目を浴びる大事な場面に、お坊さんを演じるものが出てくる。
面をつけずに、一の松、二の松、三の松の橋がかりから舞台の中央にでて名乗りを上げる。
「自分は、諸国・一見の僧である。」と。
この僧侶は、諸国を旅して様々なものを見聞きして歩く「放浪の旅僧」である。
旅僧は名乗りをあげると、それ以降は舞台中央の右側、一番客席に近い位置で観客をヨコに見る角度に座り込んで、すっと舞台の様子を眺めている。
ついには、舞台が終わる最後まで観ることだけしかしない。
のっけに名乗りをあげて以降、いっさい何も演じずに、シテ(能の主役)が演じる様子を眺め続ける。
いや、眺めるという、そういう役柄なのである。
いったい、なんのためにそのような役柄を置くのか。興味ぶかい。
数年前、千代田区の社会福祉協議会にて、傾聴ボランティア養成講座を受けた。
話しの聞き方を学ぶ授業で、たしか8週間ほど通ったと思う。
会話の中で、「相手の言わんとするところ」をしっかりと聴けるようになるための練習で、
うまく話せない人だったとしても、聞き手がしっかりとこころの叫びを理解してさしあげる。
そして、なにをするかと言うと、なにもしないのである。相手のこころを理解する。
そして、よく分かると伝える。共感。共有ができるテクを教わった。
こんなことは真剣に聞いていれば分かることなのかも知れない。
しかし、意外と、「この人の良いところを挙げてみて下さい」と言われて答えに詰まることがある。
また、「この人が求めていることは何ですか」と聞かれても、正確に答えられるであろうか。
だから、見るということ。聞くということは、以外と簡単なことではないと思うのである。
ボクは、授業を受けたあともずっと手探りの状態であり、だから「耳をすませていよう」と意識をしていたい。
能楽の僧侶は、なにをしていたのであろうか。なにを表現していたのであろうか。
さとりの境地か。世俗の欲か。移りゆく人のこころか。無常の世の中か。
方丈記に「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」という一節がある。
おなじように見えても、同じではない。みみをすませて。まわりをみていたいものだ。