ご教歌
しれてある ことのやう(よう)にて しられぬは 水のながれと 人のゆくすゑ(え)
大 意
ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にはあらず。(方丈記・1)
と、詠われるように、川の水は流れていて、留まることはない。
同じ景色に見えても、さっきまでみていた水は遙か下流に流れている。
つまり、ほんの一瞬でも同じ状態であることがない。
それと同じで、健康そうにみえても、人の命は、いつどうなるか誰にも分からない。
「そんなことは当たり前、分かっている。」と言うが、実は、その覚悟がないという。
常々、無常を意識して、できる時(いま)しっかり、功徳を積むことが大事とお諭し下さるご教歌です。
豊かな社会で、無常を意識して生きるのは簡単ではないかも知れません。
よく「出かける前にはケンカをするもんじゃない。」といいます。
出がけにバタバタしてたら忘れ物をしたり、いやな気分を引きずって仕事に差し支えたりします。
それに、いったん外出したら、必ず帰ってこれるという保証は100%ではありません。
なにかがあるかも知れない。縁起でもない。そう思うでしょうが、一歩家をでるのはそういうことだという。
ですから、文字通り見送る。にこやかに見送る。そして無事に帰ってくることを祈るのです。
見送る側は、「元気出してはりきって行こう」と、伝えたいものですね。
そうやって意識して、やっているとしたら、それは覚悟しているという心持ちじゃないでしょうか。
ご教歌では、世の中は無常だから、功徳を積むことを優先していくべきと諭されます。
日々つづいてゆく、お参り、自宅でのお看経。ここが肝です。