清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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ご教歌 御初穂は第六天に奉り 仏に上げる己が残物

2016年05月13日 | ご法門

ご教歌 御初穂は第六天に奉り 仏に上げる己が残物

ふり仮名→(おはつほ  は  だいろくてん  に  たてまつり   ほとけに  あげる  おのが  ざんぶつ)


大 意
まずは「ご宝前(ほとけさま)にお供えさせていただく。」ということを心がけるように。
欲にまかせて、結果、残り物を供えるようなことをしては功徳にならない。


ご信心の中では、ゴハンが炊けたら最初に、お仏飯をお供えさせていただくことを教わります。自分たちが食べたあとに、「そうだ。仏さんにお供えしなくちゃ」なんていう動きになったらカッコ悪い。これは、信仰を持たない人がその場面を想像しても、きっと「志がないなぁ」と感じるんじゃないかと思います。


まず最初にお供えをする。そして、ゴハンを食べるときには、みんな揃って、いっしょに、手を合わせて「いただきます」と言ってからいただく。家庭でもそうですが、イメージしやすいのは、部活の合宿などでの食事では、このようにすると思います。手を合わせて、感謝のおもいを表してから、みんないっしょに食べると思います。もし、みんなバラバラだったらどうでしょう?合宿でそんなことはしないと思いますが、もしそんなチームがあったとしたら、恐らく強いチームではないと思います。みんなそろって、いっしょに「いただきます」をする。最後も一緒に「ごちそうさまでした」をして、それぞれが自分で片づける。これは、ごくごく普通の光景でしょう。


だれかの年回などで親族が集まったとき、お寺にお参りして、お墓に行って、それからお清めで食事をしたりします。こういうときは、みなさん、どこに座るか考えてしまうことだと思います。やはり、順序を考えるからです。お坊さんや喪主(弔主)が上座にすわり、その近辺に故人のお写真があったりします。そしたらまず、故人の写真に陰膳を供える。かげ膳がなくても、お酒やビールをついで、まずはお供えをすることと思います。やはり、順序があるのです。


「娘に100両。仏には一文。」というコトバがある。それほど人の心には、ほとけさまを粗末にするようなこころが存在しているようですが、それをあらためて、まずはお供えをさせていただく習慣を身につける。これは、ちょっと気をつけていればできることだと思います。そして、「まずはほとけさまにお供えをしよう」と心がけている人は、「娘に100両。仏には一文」などという残念なやり方にはならないハズです。ですから、「お金をいくら使えばいいのか?」というよりも、まず一番最初に「ほとけさまにお供えをさせていただこう」という心を養うのがスタートというところでしょう。


普段は信仰をもたない人でも、年回のお清めの席では、かげ膳をお供えすることに目が行く。そういう「場面」や「人の目」が、人の心や行いをかえていく。またはひと言、「おい、やろうぜ!と伝える」ことが、人をかえていくんですね。ご信者さんは、この「お初」ということろからご信心をスタートさせる。またご信者さんでも信仰をもたない方でも、こういう場面をつくっていくことで、周りがよい方向へ、おおきく変化していくことでしょう。


そういう空気をつくっていくのは、お坊さんの役割だと思っています。そして、お寺にはそういう空気があります。お供えする対象である、正法たる妙法お題目のほとけさまがいらっしゃり、いつもお初の精神で、お敬いして、お仕え申し上げています。ですから、お寺にくると、部活の合宿で鍛えられるような清々しい雰囲気を持ち帰ることができます。その影響は広くに及んでいくことでしょう


お初を家訓と定めるのもいいのではないでしょうか。みんなで揃える。こころも揃う。敬うこころが芽生え、申し訳ない、もったいない、などという心を育みます。だから、だれかがひとこと言いましょう「お初の精神を心得よ」と。その核を、お寺にきて、持って帰っていただけたら幸甚です。


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