清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

納涼の集い

2015年08月03日 | 常住寺のご信者さんへ

8月2日は毎年恒例の「納涼の集い」が、おこなわれました。


 

夏期参詣は7月いっぱいで終了。8月1日(土)は、月初お総講。

そして、8月2日(日)に、夏期参詣ご奉公の、打ち上げとしての納涼イベントでした。

 

長年のご奉公者もお元気です。

ですから、そういうご信者方には、真夏の境内でのイベントは、いささかお体に響くのではと心配になります。

60代になると、30代や40代のようにはいきません。ムリは禁物です。


 

スイカ割り。ヨーヨーすくい。かき氷。

婦人会、若葉会、ファミリー会のみなさん。

子どもたちは炎天下でも元気いっぱいでした。

入れ替わり立ち替わりでご参加いただきましたが、ピーク時にはテーブルを全部だしました。

盛り上がり、ありがたいかぎりです。


 

全部おわってから、反省会をしました。活発な意見が飛び交いました。

ご信心のコアな部分をうながす場面もありました。

こういう内容の話し合いに、初めて参加した人もありました。

ぼさつの道が信心なんだと聞く。そんなミーティングでした。


 

反省会のあとは、残り物のビールでしばらく談笑しておりました。

自然発生の飲み会です。いいパターンです。

ピザをとったりして、なにもないテーブルがまたまた華やぎ、宴会が続きました。

そんな中で、教化総運動を復活させるという結論にまでいきました。


 

今回も、前局長が夏期参詣を皆参されました。

ただ、お疲れになられたのでしょう。ちょっとお風邪を召されてダウンです。

昨夜、お供水をお届けしたら、奥さんがとてもお喜び下さいました。

そいういご様子を拝見するだけで、こちらまでありがたくなってしまいます。

よろこぶということ。笑顔。

ありがたさを表すということは、ものすごく大きな施しなんですね。

前局長が本堂にいないと、お寺がさみしく感じます。大きな存在です。

ご無理をぜず、でも、早く元気になって戻ってきて下さい。合掌。


「こころ」はどこを向いているか。

2015年07月31日 | 常住寺のご信者さんへ

本日・7月31日で、本年度の夏期参詣が終わります。

明日・8月1日からは、通常のお参詣時間になります。

朝参詣は、6時30分~8時30分まで。

ご法門は、8時30分から15分間ほど。


 7月30日の夏期参詣ご法門で、お折伏をいただきました。

「こころでやろうと思っていれば、身体がついてくる。」「やる気をおこせ。」と。

夏期参詣が終わっても、どうぞ、たがいにススメ励まし合って、共々に、日々のお参詣に励みましょう。


 当山第二世・権大僧正 日泰上人の御筆です。(高野家・北区堀船 蔵)

昭和辛酉。(しょうわ。かのと・とり。)昭和56年です。

ですから、高祖日蓮大菩薩・700回御遠諱の年にご染筆です。

辛酉は干支の一つで、第58番目の組み合わせ。十干は「辛」、十二支は「酉」です。

干支は60年周期で、60歳で還暦です。次回の辛酉は平成53年。

「日泰 書」と、おしたためです。

落款は、上の白印=(文字が白)が「信廣門下」しんこう・もんか。

下の朱印(文字が朱)が、「信成日泰」の御文字です。

信廣会=乗泉寺と門末寺院の会。

信成院=日泰上人の院号。


 

恩師がご覧遊ばされていらっしゃる。


仙台 妙護寺 団参

2015年07月25日 | 常住寺のご信者さんへ

明日・7月26日。仙台・妙護寺さんのお会式にお参りさせていただきます。

出発は本日・25日の午前中です。クルマで仙台へ。行って参ります。

台風が心配で、一週間前から毎日、天気予報とにらめっこの日々でした。

おかげさまで逸れてくれたので一安心。

団参ご信者各位におかれましても、どうぞお気をつけてお参り下さいませ。


久々の東北です。

震災支援では、なんだかんだで10回ちかく、被災の各地に伺いました。

今回も被災地でご回向をさせていただく予定です。

仙台空港近辺。閖上あたりでのご回向を予定しています。

妙護寺の教要師。ご手配ありがとうございます。


 

写真は、石巻でのご回向。布教区で伺った時のものです。


ご信者のご奉公 教区のご奉公

2015年07月02日 | 常住寺のご信者さんへ

蕨駅そばにお住まいのご信者宅。お戒壇は大正末期のものと聞きました。

ピカピカに磨かれています。ものすごく古いけど、とてもキレイです。

止め金に仏丸。ステキです。全体を見れば余計、随所に施された細工が映えてみえます。

当時の宮大工の感性。当時の素材や工法。どれも、今とは違うんですね。時代を感じます。


 

元・事務局長のお宅。局長を看取った後、奥さんはご晩年、だいぶ視力が低下してました。

ですのでご令嬢は、お母さまが手探りでも生活できるように、あまり片付けをしませんでした。

お見送りをされて、四十九日忌のころには随分と片付いているのが分かりました。

一周忌を過ぎたころにはリフォームもされて、ご両親、兄と4人で暮らした長年の生活品を整理されました。

いまは、当時とは、見違えるほどキレイなお宅です。

こういう移り変わりを目の当たりにすると、ご家族の、ご両親への愛情を感じます。

そして、じつに賢いお方だなぁと敬意を表するものです。


 

志茂にあるご信者宅のまえから、かつて、おばの家族が住んでいた辺りを眺めます。

おばと長さんは、日泰上人ご法宅のお給仕をされていました。

毎朝ご法宅に上がり、掃除機と拭き掃除、朝食のお手伝い、恩師ご夫婦の所用などを、

常住寺の職員としてご奉公されていました。お二人ともお年を召されましたがご健在です。

「日本のお母さん」

ボクがお二人のお人柄を表現するのに用いるコトバです。

恩師によくお仕えになり、そして、ボクら子どもたちを、本当にかわいがってくださいました。


 

南教区は、千葉県の流山あたりから松戸、柏、船橋までの範囲です。

この写真は、おわたはずしの時の一枚です。手賀沼のそばにあるご信者宅。


 

常住寺の発祥の地。王子の堀船です。

このすぐわきにご信者宅があり、帰りに撮影しました。

写真は都電の栄町駅です。王子駅前から、栄町、梶原(堀船)と続きます。

さらに、荒川車庫前、あらかわ遊園前、小台、と続き、この辺りは本華寺さんのエリアです。

本当のおとなりさん。となりの町会です。

むかし、北区の南側’(田端、駒込あたり)に乗泉寺の本華組があり、これが発展して本船組へと編成し、常住寺の前身となるのです。

本華寺は本山末で清雄寺の縁故。同じ地域に別々の門末組織があり、それぞれ同じ組織名を冠するのは地域に因んだ名称なのかと考えます。

名称の由来を知りたいのですがわかりません。どなたかヒントになるようなことをご存じの方は教えていただけたら幸甚です。

王子のとなり町、豊島です。ここも様変わりしました。

豊島教区は、豊島と足立の新田あたりの教区です。この辺りもご信者宅がかたまっています。

新田は、荒川放水路が完成して隅田川と荒川に挟まれ、中州になった地域です。

荒川と江戸川。2つの河川は、実は人口の川なんですね。信じられません。。。

荒川は明治40年ころから掘り始めて、昭和5年に完成し、正式に荒川となりました。

詳しくは知りませんが、上流は自然の荒川。おそらく、埼玉の秋ヶ瀬あたりから東京湾までは人工の河川です。

北区の赤羽。岩淵に水門があり、そこから荒川と隅田川に分かれます。


 

仲原教区所属で赤羽にお住まいのご信者宅。左の短冊は小僧がしたためました。


 

先日ご奉安させていただいた御宝前。館林市にお住まいです。

北連合(川口市。旧・浦和市。旧・鳩ヶ谷市。)連合長のご令嬢が結婚され奉安となりました。

お道具を求める時もいっしょに参りました。

やがて、常信寺さんに日参してくれるようになったらいいなぁ。


 

最後は、河井氏がぬってくださった大塔婆のふくろ。

三祖ですから、3基分です。

日暮里の生地問屋までいって生地を購入。

お寺で仕上げて、客殿にてお披露目。みなさん喜んでくださいました。

ご奉公ありがとうございます。

ちなみに、7月なかばの支庁会議はここでさせていただきます。


袖振り合うも多生の縁

2015年06月26日 | 常住寺のご信者さんへ

袖振り合うも多生の縁 そでふりあうも・たしょうのえん  (故事・ことわざ辞典より)


 

知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。


 

人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく。

「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。

「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。「袖振り合うも他生の縁」とも書く。

「袖擦り合う(擦れ合う・触れ合う)のも多生の縁」ともいう。

『上方(京都)いろはかるた』『尾張(大阪)いろはかるた』の一つ。


お講席などご信者が多く集まった場所で、よくこのことわざを申し述べております。

お互い、常住寺というお寺のご信者となり、同じ連合、同じ教区、同じ部に所属して、いっしょにお看経をあげ、ともに祈り、祈願し、亡き魂の回向をさせていただく仲間。

浅からぬご因縁で結ばれた、お互い本当に大事な、大事な大事な存在です。

それぞれ、馬の合う合わないはありますが、それでも、みなさん同じようにご法様を信じて敬い、同じ感覚で喜び、そして戒めあっていく信心の友なのです。

(王子教区 甲・お講席)

(志茂1教区 甲・お講席)

なつかしいご信者さんのお顔も写っています。

ここにアップするために、ため込んだ写真をずーっと眺めておりましたら、ただただ、ありがたい気持ちで一杯になりました。

(役中さんの会議風景)

(朝参詣)

これからも皆さんと、異体同心の和を以て、ともにススメ励まし合ってやっていきたいと思うものです。

ご弘通発展。多くの方がお題目で救われますように。みんなが、そう願っていっしょにご奉公させていただいてます。

ありがたいと申すよりほかありません。


 

次回は布教区や支庁、信友のお教務方などの写真を貼っていきます。m(_ _)m


17日 御命日

2015年04月17日 | 常住寺のご信者さんへ

本日4月17日は、「開導聖人報恩お総講」が奉修されます。

ちなみに、毎月のお総講は下記の通りです。


 

お総講

1日  月初祈願お総講 先月の御礼と今月のご祈願 朝参詣にて。

13日 高祖日蓮大菩薩報恩お総講 10時。

17日 開導日扇聖人報恩お総講  10時。

25日 門祖日聖人報恩お総講  10時。

29日 当山恩師・報恩お総講   10時。


本年・平成27年度から、土日のお総講はすべて、朝参詣にあわせて奉修させていただくことになっております。

また、たとえば【12日が日曜日の場合】は、【13日のお総講が12日に変更になり、日曜日ですから、朝参詣において奉修されることになります。】

年間の予定は、【常住寺通信・1月号】にのっていますので、ごらん下さい。

年配のご信者さんなどで朝参詣できない方などは、日中に奉修されるお総講を目標に、どうぞお気をつけてお元気でお参りいただけたらと思います。


さて17日は、佛立第4世講有日教上人と佛立第21世講有日勤上人の月ご命日でもあります。また4月17日は本山教務部の今西清忍師というお講師の祥月命日です。ボクらが本山で修行させていただいてた時のご講有が21世日勤上人でした。近しくお給仕させていただき、いまでもご祥月の6月17日には、大阪円妙寺におわします大奥様まで、お供えをお届け申し上げております。

21世日勤上人と大奥様はともに京都のお生まれです。そして、今西お講師もご夫婦と幼馴染みであり、かつまた、学校の後輩だったとお聞きしました。ご信心堅固なお役中としてご奉公なさり、また一代で身代を築かれ、晩年には出家得度をされたお講師でした。学生時代はとても可愛がっていただきました。ご講有上人とご幼少のころからのなじみで、ご命日も同じというのも浅からぬご因縁なんですね。本日は毎月の21世・報恩お塔婆建立にあわせて、清忍師のお塔婆もお建て申し上げ、仏道増進菩提でご回向させていただきます。

 近今院法道清忍法師 仏道増進菩提


ご信者ご一同におかれましても、どうぞ先師上人の報恩お塔婆建立や、ご両親祖父母など近しいご家族へのお塔婆、そして、生前にご縁の深かったお方などにもお題目の功徳をお届けしようとこころざして、お塔婆のお申し込みをいただきたいと思います。そして、お塔婆をお建てする日(ご命日など)は、普段お寺にお参りすることがない家族などをお参りに誘うきっかけとなるハズです。そういうネライがひとつあります。

そんなことで、お塔婆建立の促進は、「佛立開花運動ご正当の平成29年度まで」常住寺の年間総祈願としてあげさせていただき、習慣をひろく伝えたいと考えております。たびたびのごひろうですが、よろしくご奉公ねがいます。


お戒壇と仏具の紹介

2015年04月16日 | 常住寺のご信者さんへ

本門佛立宗の仏具を写真に撮って、このブログの写真アルバム「フォトチャンネル」にアップしました。

パスワードが必要です。見たい方は、高野清純まで、ご連絡下さい。


 

乗泉寺の周りに2店舗、本門佛立宗専門の仏具やさんがあります。

「フォトチャンネル」の写真は、そこで陳列されている仏具です。


 

お数珠なんかはこの調子で撮ってますから、本当に参考までということで。。。

 


 

懐中ご本尊用のお厨子


 

こんな感じでアップしてます。

お戒壇など多額なものは即決できないでしょうから、事前に写真を観てお品を選ぶ目安としていただけたらと思います。

 


御教歌 いきてゐる つもりのなか中の けふにても しぬにうらみの なきつもりせよ

2015年03月21日 | 常住寺のご信者さんへ

3月22日。常住寺の門祖会&春季彼岸会総回向のご法門です。当日配布する「ご法門のしおり」と若干ことば使いがちがいます。一つ前のコラム・日晨上人のある角度からとあわせて、お会式・彼岸会ご法門となります。


 

ご教歌 いきてゐる つもりのなか中の けふにても しぬにうらみの なきつもりせよ


「み教え」に耳をかたむけて、まずは、「この世が無常であること」を感じとってほしいのです。

 

いつ死がおとずれても後悔のないように「功徳を積むこと」を日々お教えいただくのですから、今日もまたお参詣と菩薩行に励むことを心がけましょう。

そうやって歩んでいくと、いま生きている瞬間を、ご利益で、苦難を乗り切れるご利益をいただけるようになるのです。


 

 

諸行無常
諸行とは、(生命も含めて)作られたものすべてをいいます。

無常とは、この世のモノはすべて、つねに変わりゆくものであり、一瞬といえども同じ状態を保つことができないこと。

人々が「常」であると見るのを、「そうではない。(無常)である」と諭し、

逆に、常に変わらないのは、仏さまや仏さまの教え、そして、その御徳は不変であると教わります。

これを「常住」と言い、そういう功徳の世界を「常楽我浄」と申します。


『方丈記』(鴨長明)「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
形あるモノはいつかは壊れ、桜はまたたく間に散り、流れる川の水は変わらぬように見えても同じ水ではない。


いろはにほへどちりぬるを  諸行無常
わがよたれぞつねならむ   是生滅法
うゐのおくやまけふこえて  生滅滅已
あさきゆめみじゑひもせず  寂滅為楽


つもり【積(も)り】
1 前もってもっている考え。意図。心ぐみ。「成功する―でいる」「怒らす―ではなかった」
2 実際はそうでないのに、そうなったと仮定した気持ち。「死んだ―で働きます」
3 予想して計算すること。見積もり。「―がはずれる」
4 酒宴で、その酌で終わりにすること。おつもり。「これで今晩は―にしよう」
5 積もること。重なること。「人の心をのみ動かし、恨みを負ふ―にやありけむ」〈源・桐壺〉
6 限度。かぎり。「銀(かね)も使ふ―あるものぞかし」〈浮・俗つれづれ・二〉
[補説]1~3は「心算」とも当てて書く。[類語]意図。心組み(心づもり)。思惑。


人はいつかは必ず死にます。ただ、いつなのかは分からないのです。

無事なら無事。死ねば死にます。生きるか死ぬか。うまくいくかダメか。

ダメなときは一瞬でくる。その場面までだれも分からないし、その場面までは、いつもの景色です。

ご信心は目には見えないマイナスのご縁を、よい方向へと変えていただけるのです。

だから、「いそがしいから後で」とか「体調がよくなってから」という思いを横に置いて、

「いまでしょ!」という風に思いを定めてやってみる。お看経をあげる。お参りさせていただくのがいいんです。

そして、その「いまでしょ!」が連続していって、いつもやってて、それでお守りいただけるんです。

「つもり」は、心づもりであって、予想して計算すること。死ぬなんてことは考えない。当然でしょ。明日も生きてるつもりです。

でも、一瞬さきだって分からないのが本当です。だから覚悟はもってて、功徳を積みつつ進んでいきたいのです。


壁にぶつかって(日晨上人 ある角度より)

2015年03月21日 | 常住寺のご信者さんへ

【本文拝見】(3月22日 常住寺の門祖会・春季彼岸会総回向の中でも拝見しました。)

「生死の二法は一心の妙用」という言葉があります。生死とは何か、一心とは、妙用とは何かと一つ一つ深く詮索すると人生の一大事を説いたものなので解明がちょっとむずかしくなりますから、ここでは一般向きに説明しますと、万事、生かすも殺すも、人聞の心の働かせ方いかんによるということです。少々こみいった問題になると、すぐ悲観的な見方をして、駄目だというだけで、何んとかその中から妙案は生まれぬものかと努めないで、投げだすことしかいわぬ人がよくあります。

ところが、物事は窮すれば通ずる活路が必ずあるもので、あきらめずにその活路を見出す手段をこうずれば、不可能に見えたことも可能に変わるから、希望的な考え方を放棄してはならぬと教えた言葉です。
しかし、実際問題になると、どうにもならぬことはたくさんあります。また甲にはできても乙には出来ないこともあります。独力では駄目でも、他の協力でできることもあるし、短時間では出来ないが時間をかければ可能なこともあります。ですから、自分のカの限界を忘れて、何んでも可能というのは、あやまりだと思いますが、だから駄目というのもあやまりで、協力者如何によっては、可能と考えるのが人生観として大事だと思います。

法律相談所の仕事をしている先生の話ですが、相談所へ相談に来る前に二年も三年も思い悩んでいたことが 一ぺんに埒があいて有難いという人がときどきあるそうです。つまり、自分では活路が見出せなかったのが、専門家に教えられたら、すぐわかったということで、商売上のことも、病気などについても、そういうことがあるはずですから、悲観的になるのは、どうかと思います。多くの人は教えも乞わず、ちょっと考えて、あるいはやってみて、うまく行かぬと、すぐ、駄目だというのです。生かすも殺すも心の働きによるということを、モッと考えて貰わねばなりません。

中には、凡夫だから、素質がないから、学校を出ていないからと、自分を見くびる考え方ばかりする自虐性に富んだ人もあります。事実、人間の心を深くみつめれば、煩悩充満の荒凡夫であることは間違いはありませんが、また反面には、仏に近い聖い心もあるのです。ですから、宗教上の達人は、みなロをそろえて人間は悪人だと指摘しますが、だから駄目だとはいいません。好い気になって独走するのは、危険だと警告して、善道に心をむけさせようとなさるのです。悪人としての自覚のないものに、人生の活路を説いた教えを善聴するものはないからです。従って各自の知恵とか力量とかが、あるところで限定されていることを知ることはよいことですが、では、それ以上は駄目と考えることは間違っています。けわしい人生行路ではあっても、必ず活路ありという信念を失ってはなりません。

生死の二法の、生は始め、死は終りです。朝起きたときは一日の初めで、夜寝るときは、一日の終り、旅行に出発したときは生で、帰宅したときは死です。仕事にも勉強にも部分的な生死もあれば、総合的な生死もあります。 そして、成功者も不成功者も、若人も老人も臨終で、万事の終りとなります。

仏立開導日扇聖人のご教歌に
「生きているつもりの中のけふにでも しぬにうらみのなきつもりせよ」と仰せられてありますが、生に対する見つもりをたて、いろいろ考える人はいても、万事の終りと思う死に対しては、つもりをたてる人は少ない。それからさきどうなるかわからぬことには手がでないのでしょう。気のきいた人は死後のことをアレコレ心配する人はあっても、自分の死そのもののツモリを考える人はない 。死を生かす術がわからないからでしょう。ところが信心の世界では、その死の生かし方を考えるのです。それを一心の妙用といわれたのです。そういう不可思議な働きが人間の心にはあると教えたのが、妙法の信心です。死は永遠の終りでなく、次の生への出発と観ずるのです。信によって、そういう考え方を養成し確立し、あらうれしやうれしやと唱え死をすべく努力するのが、私どもの信心です。その信心を得たときに、生きているつもりの仕方までがよく転換できることは申すまでもありません。


景色をかえない リズムを刻む

2015年02月27日 | 常住寺のご信者さんへ

リズムを刻む。時間を刻む。

朝起きる時間。通勤通学の時間。食事の時間。

お寺の朝参詣。ご法門。ボクらの日課です。

同じ時間に始まって、同じ時間に終わります。毎日毎日、淡々と。。。


今年に入って、1月9日から今日まで、年配のお講師がずっと欠仕しています。

風邪をこじらせて一時入院もされていました。

ご信者方にはお見舞いのご用意をと仰っていただきましたが、お断りしました。

申し訳なく、ありがたくおもっております。

お寺に姿を見せることはありませんが、ごく普通に生活できているようですので、どうぞご心配なくねがいます。

ただ、高齢ですので、寝込む前と同じようにするのには、ちょっと時間が必要だと思います。

おそらく、あたたかくなったら、出仕してくることでしょう。


毎日リズムを刻むのは、当たり前のことです。

ですが、ひとりだと、ちょっとしんどいと思うときもあります。

そんな時、ご信者のお看経の声がとても頼もしく思えるものです。

いつもの時間に、いつもの場所から、いつもの声で、お題目をお唱えする声がきこえてくる。

あの人がお参りに来た。すぐ分かります。そして、「あぁ。ありがたいなぁ。」と思うものです。


決まった時間に「ゴハンですよ~」とやってくれたら、たぶん、体調も整うのでしょうね。

日課として、これをする。そういう生活パターンには充実感と安心があります。

お寺でも、今までと同じ景色をこれからも繋いで参ります。先師上人から継承したものですから。

書面はなくても、身読するのが継承の証しです。なければ、なにもなくなっちゃう。

そりゃあ、少人数で高齢化してますが、キチンと後世につなげてまいります。

泰信師も別院でがんばってますよ。たった1人で。


朝参詣は6時半から。ご法門は8時半から。毎日まいにち。かわらずさせていただきます。

ご法門が毎日あるお寺って、意外に少ないんです。でもね、ウチは続けますよ。何があっても、絶対にね。

ですから、ご信者各位におかれましても、どうぞ、「朝参詣なんか、ご奉公のあるときだけ行けばいいや」

なんて考えでいるなら、どうぞ改良して下さい。この文章を読んでいるあなたです。

参ったら参っただけ、かならず仏祖のご守護をいただける。お参りしないのはソンなのです。


同じ時代に、同じ場所に、同じ目的で集う宿縁の人々。大事な存在です。

どうぞ。いっしょにリズムを刻んでいきましょう。

後の世の人々に、ご利益を伝えるためにも、大事な大事なご奉公です。

明日は晦日。明後日は月初祈願お総講。そして、大奥様のご祥月をおむかえします。

 


ご教歌 くるしみを 人ののがれし よろこびを きくばかりなる たのしみはなし

2015年02月04日 | 常住寺のご信者さんへ

ご教歌 くるしみを 人ののがれし よろこびを   きくばかりなる たのしみはなし


大 意 (日晨上人「ご法門のかなめ」より)

多種多様の楽しみを持つことが可能なのが人間。

勤めという字を賢者はたのしみと読み、愚者はくるしみと読む。

考え方が進んで楽しみは変わるので、愚者でも勤めを楽しむようになれる。


 

煩悩を楽しみとする=利己主義 五欲

信行を楽しみとする=菩薩道が楽しめる。化他の楽しみがわかる。


 

〇不断煩悩・不離五欲

ご教歌は、随喜心、菩薩心が、他のご利益感得に発動した貴い心をよまれたもの。

「若暫持者・我則歓喜・諸仏亦然」の境地。


 

〇信心上、積功累徳の修行が楽しみを感ずるのは、因果の道が信じられるようになった証拠。

苦労を乗りこる力となる。


 

ご指南

菩薩の楽しみなり。ご利益を感得して信心の進む姿を見て喜ぶのが菩薩なり。 

開化要談(教)14-37


他人の喜びの瞬間を間近でみれるのは、相談にのったりお手伝いさせていただいたりと、

ずっとその人のソバにいて、関わっているのからでしょう。

あの人が「よいご因縁をいただけますように」「仏祖のおはからいがいただけますように」と願って

お看経をお勧めするならば、お参詣、お看経をおあげしている姿をみせるのが一番です。

ひとりでお参りする時でも、「だれかが、初めてお参りする人を連れてくるかも知れない」と思って

いきおいよいお参りの姿をご覧頂けるように心がけるのがありがたいのです。

あなたが喜んでお参りする姿をだれかが見て、きっと感銘を受けることでしょう。

そして、あなたと同じように、喜んでお参りすることでしょう。

だから、2月5日で本年度の寒参詣が終了しますが、ひきつづき、いつものように、

喜び勇んでお参りさせていただきましょう。それは、みほとけのお使いとしての、貴いご奉公となります。

 


常住寺 上尾別院

2015年02月02日 | 常住寺のご信者さんへ

2月2日11時。

常住寺の別院で「月初祈願お総講」が奉修されました。

上尾別院のお総講は、毎月1回、2日に営まれます。

お正月は奉修されませんので、今日が、本年度初のお総講です。

写真は帰り道のものです。最近できた新しい道です。

東京から国道17号・大宮バイパスで埼玉へ向かうと、大宮駅をすぎたあたりで本来の17号とバイパスが合流し、やがて国道16号とも交差します。

その近辺から(写真の)新しい道ができており、国道17号の「大宮バイパスに続く、(東京から数えて)第2番目のバイパス」となるようです。

この道が、常住寺の別院のすぐわきを通っており、現在は別院近辺までしか開通していませんが、完成すると別院から約10分ほどで、

圏央道のインターにつながる道になります。

道が整備されてすぐ、別院のまえにあった大正製薬の薬草園(まるで「森」でした)跡地にアリオができました。広大な敷地のショッピングモールです。

別院のとなりは、「なんでこんなところにあるんだろう?」と思いましたが、長年ロッテリアのドライブスルーがありました。

ここがいま、コンビニになろうと工事しています。

ロッテリアのとりにあった薬局は、ブックオフになりました。ご近所が急速に、景色をかえています。

20年まえ。別院の土地を購入したころは、まわりは何もありませんでした。

さかのぼって、1月の別院教区・甲お講は吉田さん席でした。

久しぶりにお会いした吉田さんは、神々しく凜としたお姿でした。

お年を召されましたが、御導師と共に歩んでこられた強信者さんの雰囲気は、現在でも変わりありません。

別院はみなさん、ご信者らしい方が多い教区です。

先日は王子の本院のご奉公当番でした。ご供養調理とごひろう。早朝より、本当にありがとうございます。

寒参詣もあと3日。みなさんでがんばりましょう。

いや、むしろ、寒参詣がおわってから、日々の朝参詣にがんばりましょう。

 


役中勉強会

2015年02月01日 | 常住寺のご信者さんへ

今年の目標は、本門佛立宗のホームページを活用して、常住寺の広報活動を活発にすること。

そして、「ご信心用語」や「ご奉公のしかた」など、文書化したものを、定期的にこのブログに記載すること。

さらに、「お講席のご法門」を、このブログに記載していくこと。

以上3点です。これを、今日の役中勉強会で言っちゃいましたので、がんばってやっていこうと思います。

広報活動は、総務部の中に新設した部署が担ってくれます。

この「広報班」と、「司会班」と「写真班」が合わさって、やがて広報部ができるでしょう。

これは、開花運動あげた自主誓願の一つです。29年に間に合いますように。。。

ご奉公者は、若い世代の人。次世代の人の部署なのです。


 2月の役中勉強会   テーマ:お講について 


 

役中勉強会で、次の通り、お講についてお話しさせていただきました。

内容はだいぶ端折ってありますが、ご信者さんへお伝えすることの一端を、

ネットを使ってまいりたいと思っております。


①ご住職・お講師のお迎え

 コート。おカバン。

 ローソク・お線香がどこにあるか確認。

 ご宝前のお道具が曲がってないか確認。 

 総祈願が貼りだしてあるか確認。

 お迎えのお看経→拍子木係。

②総祈願の唱和 

 「唱和の先導」係を決めましょう。

③お看経

 お看経は、一座の導師にあわせてお唱えをします。

 拍子木も、導師をされるお講師にあわせて打ちましょう。

④ご法門

 ご法門台をお出しする係。

 ご法門聴聞は、席主も含めて、みなさんで聴聞。

⑤お布施ごあいさつ

 席主の発声で、みなさんでごあいさつ。

 ごあいさつの文言は勉強会の資料に載っています。

⑥ごひろう

 「みんなでいっしょに頑張りましょう」という、ごひろうのしかたが望ましいですね。

 「がんばってやってね」という促し方だと、ちょっとよそ事っぽいです。

 言葉・単語の使い方。けっこう大事かも知れません。工夫したいです。


⑦ご供養→お見送り→御礼お看経→解散

 ご供養のあり方は、お講師も交えて、各教区で話し合って工夫しましょう。

 席主をお受けできる人が増える工夫。

 こころざしを表す工夫。

 こころざしをありがたく頂戴する心持ち。

 食前偈は、お講師の準備ができてから。

 お参詣のご信者みなさんとのコミュニケーション。

 よろこび。うれしさ。はりあい。互いに勧め励ます空気。

 家族へのアプローチ。

 あの人が得意なものをみつけた!

 あの人のすばらしいところは、ここ。

 お講師のお見送りは、みなさんで。


ネット上に載せるのは、お寺でごひろうするのと同じ要領というワケにはいきませんね。

上記の内容は、詳細をはぶいて載せています。

くわしくは、各教区のお講席でいっしょに形をつくっていきましょう。