沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

クロヨナが咲いた

2010年10月10日 | 日々のこと
 通勤途中、大川を通ったら、クロヨナの落ちた花でじゅうたんのようになっていた。去年その光景をアップしたので、調べたら10月5日であった。私が気がついたのは先週6日の事だった。今年はデジカメを空に向けるようにして大木の花を写した。写し方が悪いので、紫の小花はわからないよね。しみじみと思った、植物でもきちんと自分の花を咲かせる時期をしっているのだと。

 そこでこんな琉歌があったのを思い出した。

    「巡て春くれば  木草でも知ゆり

           人に生まれて 節よ知らね


 歌意:めぐって春が来れば木草でさえ、その役割を心得ていて芽吹いたり花を咲かせたりする。まして人と生まれて、この大事な節
    を知らないですまされようか。

 解説:組踊「伏山敵討」の棚原の若按司」が親の敵を討つために出かける時の歌である。
     まさに「人に生まれとて、節を知らね」である。野に咲く草花が見事なほどに節を知り、芽を出し花を咲かせるのを見ると、人
     間の愚かさと切なさを思い知らされる。チャンスと知りながら逡巡し、大きなため息をつき、今日の成すべき事を明日にまわ
     し、酒におぼれる凡人の悲しさを思わずにはいられない。
      いかな凡人といえどもも「巡り春来れば」、胸は騒ぎ、血は踊る。勇気を持とう、野に咲く草花ほどの知恵もない凡人でも、
     時として、奮い立ち、敢然と自らの信ずる道を突き進みたいものだ。「時は得がたく失い易し、好機逸すべからず」というでは
     ないか。

       (残しておきたい昔言葉「沖縄の名言」解説:伊良波長傑)より抜粋

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