旅について ②
旅の記憶
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※ 開高健(1930-1989) 小説・随筆・ノンフィクション作家。
代表作「輝ける闇」「裸の王様」「パニック」等。1964には、
朝日新聞臨時特派員として戦時下のベトナムへ。
ベトナム共和国軍に従軍し、その時の体験を「輝ける闇」として
発表。
上記の文章は次のように続いている。
(写真に収めたり、メモに残したりしなければ忘れてしまうような旅は、)もともと見なかったことでもあり、無存在しなかったことでもあるのだ。のこったもの、自分のものになった記憶だけが「見た」と言える事物なのだから。
本来、「旅」というのは、誰かに伝えるためのものではない。
旅の途中で感動したことや、考えたことを記憶のフイルムに焼き付ける。
時間の経過とともに、多くの記憶は消えてなくなるが、
消えてなくなるような記憶なら、それはそれでいいのではないか。
脳の記憶の容量は限られているのだから、
薄れていく記憶を写真や記録をたどって再認識しても、
所詮それはバーチャルリアリティーの色あせた記憶に過ぎない。
あの日の感動が欲しければ、また、その場所に旅すればいい。
記憶は鮮やかによみがえってくる。
二十代のときの感動と五十代のときの感動は違ってくる。
それでいいのではないか。
成長とともに感性も考え方も変化していくのだから。
寺山修二は
「書を捨てよ、街へ出よう」と言った。
読書は見聞を広げ、時によっては人生の啓示を与えてくれる。
旅もまた何ものにも代えがたい貴重な時間を与えてくれる。
他人につたえようがないから貴重であり、
無益だったとしても、だからこそ貴重なのである。
若きの日に旅をせずば、老いての日に何をか語る。
俳聖芭蕉もまた人生を旅になぞらえ、生涯を旅にささげた求道者だったのでしょう。
旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る
芭蕉51歳。
臨終を迎える四日前に詠んだ句である。
芭蕉のは精神の孤独を追い、「わび」「さび」を極めようとする
旅だったのでしょう。
九州への旅立ちの旅中、大阪の宿で病に倒れてしまう。
倒れた病床の中で芭蕉は、旅への憧憬を断ち切ることができず、
夢の中に浮かんでくる枯野を駆けている孤独な自分の姿だったのでしょう。
旅に何を求めるかは、人の置かれた立場によって違ってくる。
楽しい旅。グルメの旅。傷心の旅。
どんな旅でも、
やがて、それぞれの人生の旅へと繋がっていく。
(2019.1.3) (つれづれに……心もよう№87)
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