船村徹 喪失と慟哭の日々
親友の高野を失い、船村はこらえようのない喪失感を酒と女に求めた。
しかし、自堕落な生活をすればするほど、さみしさは一層深まり、一日二升の酒を浴びるように飲んだ。
厳しい音楽業界の中で、
なんとかやってこられたのは高野が一緒だったからだ。
一人で生き抜いていく自信はない。狂ったように酒をあおり、女を抱いた。
船村の告白である。
だが、人間は強い。
どんなに自堕落な生活に陥っても、志(こころざし)が叶わなくても、命のエネルギーは負の方向には流れていかない。
喪失と慟哭の日々が続き、
生きる力が弱くなってきても、心のどこかにかつて抱いた夢が残っていれば、
見つめ続けてくれる誰かがいれば人間は立ち直れます。
東京から熱海の温泉旅館までタクシーで飛ばし、芸者をあげてのどんちゃん騒ぎで一週間が過ぎる。
金が無くなれば、作曲料の前借で、会社(日本コロンビア)から現金を持ってこさせた。
船村の人間性もあったのか、先輩作曲家、作詞家、ディレクター達が彼を励まし、
私生活は荒れていたが、この時期いい歌を作曲している。
「波止場だよ お父つぁん」(美空ひばり歌)、
「東京だョおっ母さん」(島倉千代子歌)、
「柿の木坂の家」(青 木光一歌)。
これらはまさに生前、高野が言っていた地方色豊かな歌である。
苦しみや悲しみは、これを克服した時に人は、一回りも二回りも大きく成長する。
船村は次のように述べている。
人間が生きていくということは、辛いことだが傷つけられ傷つけるということでもある。
喜びがある一方で悲しみがある。
(略)いったい何人の人間を傷つけてきただろう。
何人の人間を悲しませてきたことだろう。
(略)そんな思いが私の旅を「巡礼」にする。
見事に彼は立ち直り、ギターを抱えて歌う行為を彼は「演歌巡礼」と称し、
船村節は聞く人を魅了する。
次回から「別れの一本杉哀歌、高野公男の故郷を訪ねて」を書きます。 (2015.10.26記) (おわり)
(2017.02.28 加筆して再掲載しました)
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