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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

ニュースの声(23)  俳優 佐野史郎さんのつぶやき

2023-02-15 06:30:00 | ニュースの声

ニュースの声(23)  俳優 佐野史郎さんのつぶやき
  多発性骨髄腫を経験した(2023.02.04朝日新聞・がんとともに)
                       4日は『世界対がんデー(World Cancer Day)
                       2人に1人がかかる時代と言われている。一人一人が、
                       がんに対する意識を高め、行動を起こすことを目的に
                       世界各地で取り組みが行われる。新薬が開発され、医
                       学の進歩があっても、がん対策の基本的姿勢は「早期
                       発見」「早期治療」だ。世界中で人々ががんのために
                       一緒にできることを考え、約束を取り交わし行動を起こ
                       す日。それがワールドキャンサーデーです。

権力者は、「幸せであることは、経済的に満たされることだ」とという物語を作り、
      多くの人々がそのルールー信じているんですよね」
    でもそれは違う、と佐野史郎さんは言う。
   血液のがんの一つ『多発性骨髄腫』の告知を受けた時彼は言った。
   「どうしたらいいんですかね?」。
   難病と言われるがんを宣告され、ショックをうけたり、おろおろしたりという心の葛藤はなかった。
   告知を冷静に受け止めた彼は、自分が罹患したがんに、
   どう向き合ったらいいのか、自分らしく生きていくのに、
   「どうしたらいいんだ」と、これから先の俳優としての人生行路に思いを巡らせる。
   「冷静に考えれば、存在しているという意味では、虫や微生物などの他の生き物と同じだと思う」
   (その時が来れば)命が尽き、姿がなくなっていく。
   そう考えると、別に人間の死だけ、自らの死だけを中心に捉えて、
   「気の毒」とか「かわいそう」とか「特別悲しい」とは思わないで済みます。
   喜怒哀楽を超えた、ある意味達観した佐野史郎さんですが、
   (手術が済んで)高熱と剣山で刺されるような痛みが続いたとき、
  「もうだめかな、帰りたい―」
  たった一晩、弱音を吐いた夜。でも、
  「乗り越えなきゃ」、「まだまだ」
  弱音を吐いた自分を叱咤するようにつぶやいた。
  経過観察を受けながら、少しづつ仕事を再開し始めたが、
  再びがんになることへの恐れはあるが、
  いたずらに悲観的にならない。根拠のない期待も持たない。
  この地球の中で、「人間だけが特別な存在ではな」く、
  生きとし生けるものすべての生き物が、その時を迎えて『命』を全うする。
  そう考えることで、困難を乗り越え、救われることがある、と言われているような気がする。

     (ニュースの声№23)         (2023.02.13記)
  


                     

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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風の行方・原発回帰  あの時の教訓はどこに生かされたか 

2023-02-11 06:30:00 | 風の行方・原発

風の行方・原発回帰  あの時の教訓はどこに生かされたか

原発の運転期間は、2011年の福島第一原発事故後の原子炉等規制法が改正され、
原則40年。
原子力規制委が認めれば20年延長できると定められ、
最長で60年の運転が認められた。

事故以降、歴代政権は原発への依存度を低減する方針を掲げてきた。
岸田首相は再稼働を進める一方で、
新増設や建て替え(リプレース)は現時点では想定していないとしてきた。
新たに建てなければ、いずれ原発はゼロになる。

新増設に転換すれば、将来も長期にわたり原発に依存することになる。
原発は自然淘汰され、再生可能エネルギーが普及していくのか。
それとも、地球温暖化問題で脱炭素を理由に復活し、電力の安定供給に舵を切るのか。
  
福島原発1号機水素爆発の瞬間(2011.3.12午後3時36分)と崩壊した建屋。
左写真は『福島中央テレビ』の映像で、全国放送された。
日本記者クラブ特別賞を受賞。

原発回帰(原発政策の転換)
  あれから11年が過ぎた、2022年秋、突然のように原発政策の転換が示された。
  原発の新増設や建て替えを検討し、
  原則40年の運転期間の延長も検討すると。
   脱炭素の加速化や、ロシアのウクライナ侵攻に伴いエネルギーの供給が不安定になっている。
    電力の安定供給は喫緊の課題だろう。
    しかし、11年前の福島第一原発事故の痛ましい人災事故を忘れてはいけない。
    3基の炉心溶融(メルトダウン)は、日本だけでなく、
    世界をも震撼させたほど甚大な被害をもたらした。
    「在日アメリカ人は本国に帰国すべし」と友好国のアメリカは最大の危機感を持った。
    周辺の住民は故郷を追われ、23年の現在でも帰還困難区域に指定され、
    避難を余儀なくしている人々も多い。

         帰還困難区域の除染もままならず、廃炉などの事故処理の見通しさえつかない。
    汚染水の海洋放出は漁民の反対にあい、保証金をちらつかせながら見切り発車をせざるを得ない。
    高レベルの放射性廃棄物は、
   最終処分地が決まっていない。
   放射能が十分に下がるまでに数十万年もかかるといわれている。
   こんな危険なものを地下深く埋めて、だれが責任をとれるのか。
   使用済み燃料のプルトニウムは核兵器の材料になるから、国際的に厳しく管理されていて、
   日本はプルトニウムの減量を国際公約しているのだが、
   高速炉の開発は、巨費をつぎ込み、挙句の果てにとん挫したままだ(バックエンド問題)。
   経産省の試算によれば、2030年に新設の原発は、事業用の太陽光発電よりも割高になる。
   加えて、新型炉には開発初期のリスクもある。

   原発のコストは規制の厳格化などにより、高騰している。
   原発事故前に1基約4千億円だった建設費は事故後、欧米などでは1兆円を超えるという。
   新規建設はもはや、国による補助なしには成り立たず、国民負担はまぬがれない。

   ざっと上げただけでも以上のような難問がそろっている。
   原発関連の反対運動が起きれば、政府は札束で頬を打ち強引に政策を推し進めてしまう。

   脱炭素問題やロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー危機を踏まえて、エネルギーの安定供給
   に舵を切る。
   昨年暮れには、原発が再稼働に必要な審査などで停止している期間を除外する改正案を提出。
   つまり、最大60年とされた運転は、仮に運転停止期間が10年あれば、
   最長で70年間運転できることになる。
   
そうして、廃炉を迎えた原発の代わりに新しい原発をつくる「建て替え」を進める
   方針も明らかにした。
      まとめ・自民党総合エネルギー戦略調査会の骨子
           原発の新増設・建て替えを推進する。
           運転期間の延長。
           使用済み核燃料の処理(バックエンド問題)の推進。
  
 あの悪夢のような11年前、
 
浪江町に住んでいた佐藤さんは
 「原発が爆発して2回も避難した。これからどうなってしまうのだろう」と不安をつぶやく。
 「俺、ちと長生きしすぎたな。いやなもの見ちまった」と被災直後の4月、
 飯舘の自宅で、104歳の命を絶った大久保さん。104歳まで生きて、最後の選択に「自死」を
 思うとやりきれない。(2022.12.24朝日新聞天声人語参照)

  当時の記録や被災者の声を改めて読み直せば、被災者の声が、現在でも生々しくよみがえってくる。
  原発事故からたった11年、その傷も癒されぬうちに、
  前述のような大きな問題を抱えたまま、原発回帰・推進に舵を切る岸田政権に、
  いったいこの国のリーダーは、国の未来にどのような設計図を描いているのだろうと不安になる。
  世界を震撼させた原発事故の教訓はどこに生かされたのだろう。

        (風の行方・原発№42)             (2023.0210記)
  
 


         

   

 


   


   

 

 


    

 

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ニュースの声(22) 性暴力 他

2023-02-03 06:30:00 | ニュースの声

ニュースの声(22) 性暴力 他
 ① 性暴力 示談協議進まず
      陸自元隊員らを提訴 (朝日新聞2023.01.31)
   国と加害者元隊員5人を提訴。元自衛官のIさん
実名で被害を告発。
     性暴力の被害は多くの場合、泣き寝入りで終わってしまうケースが多いが、
       消して泣き寝入りはしないという決意に敬意を表します。
     損害賠償訴訟についてのIさんの会見での
コメント。
    「できることなら戦う選択をしたくなかったが、(元隊員等は)反省していないと感じた。
    ハラスメントの根絶は不可能なんじゃないかと思った」
     「震災で自衛隊の方々に助けてもらったので、自衛隊への感謝は忘れないし、今でも好き。
    好きな自衛隊を辞めざるを得ず、たくさんのものを失っているので、
    その責任をしっかりと取っていただきたい」 
     希望に燃えて入隊した自衛隊で彼女が経験した辛いセクハラは、
    何事にも代えがたいたくさんのものを奪ってしまった。
    社会人としてスタートした憧れの職場で、「人々の役に立ちたい」という彼女の夢だけでなく、
    生きる力さえも奪いかねない卑劣な行為だったことを、加害者の5人の元隊員は自覚し、
    Iさんに謝罪すべきだ。
    「一人一人が大切にされて、正しい正義感を持っ隊員や組織になってほしい。
    オープンにして真実を明らかにしたい」
    
② 戦争の記憶 今も夜が怖い (朝日新聞2023.01.30) シリーズ ー人生の贈り物ー
  建築家 原 広司氏 少年時代の戦争
   1944(昭和17)年
ごろには上級生は集団疎開でいなくなった川崎。
   この時、原氏小学2年生。
    食糧の配給事情は逼迫し、大豆の油を搾り取ったカスとか、最後はクマザサの葉と茎とか。
    ちょうちん行列が行われ、出征する人を見送る。
    みんな「立派に死んできます」とか言ってね。
   
   兵隊になりたいなんて全く思わなかった。
   夜は空襲で、ほとんど防空壕。
   戦争に行きたくないし、死にたくもない。
   だから夜が怖いんです。
       現在87歳になっても、夜が怖いという原氏の記憶に焼き付けられた戦時下の
      様々な出来事がトラウマとなってよみがえってくるのでしょう。
       お腹をすかした育ち盛りの少年にとって、食べるものへの希求はきっと今でも
      よみがえってくるのでしょう。
      私の母などもよく戦時下の食糧難の時代を振り返り、
      ひもじい思いを後年になって語ってくれました。
      あの時代の少年たちの夢は、「立派な兵隊さんになる」ことだったようですが、
      「兵隊になりたいなんて全く思わなかった」と、
      当時の少年には珍しい「精神の自立」を持った少年だったのでしょう。
      少年の目を通して見た戦時の、
      当時としてはちょっと危ない(危険な)考えを持っていた少年だったのでしょう。
      原少年はちょうちん行列の群れの中で、ただ一人裸の王様を見つめられた少年だった。
               
            原 広司について
                
1936年生まれ。建築家。
                札幌ドーム、大阪梅田のスカイビル、JR京都駅ビルの設計。
                日本建築学会賞、野村藤吾賞など受賞。

(ニュースの声№22)      (2023.01.02記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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阪神・淡路大震災から28年

2023-01-30 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

 2023年1月17日19時41分。 
 阪神淡路大震災の発生から28年になります。
 「もう28年」、「まだ28年」。
 人それぞれに、光陰矢の如しと28年を迎える人もいれば、
 あの日以来、時間が止まり年齢だけが空しく加算されていく苦しい現実に、
 震災の傷が癒されないままの人もいる。
 6434人の犠牲者と63万棟の住宅被害が起きた。
 数々の苦難を乗り越え震災の街は立派な復興を成し遂げ、立派に立ち直った。
 新しい復興計画のもと道路が建設され、ビルが建設され新しい街ができた。
 地震の震源地に近い、兵庫県淡路島の「北淡震災記念公園」では、17日朝、
 遺族や地元の人たちが、亡くなった人への追悼と復興への思いを一つに、
 「上を向いて歩こう」を合唱した。(NHK NEWS WEW)

 様々な理由で今も、震災の傷を抱え、途方に暮れる人もいる。
 当時五十代だった人は七十代になり、未だに先の見えない生活に苦しむ人もいる。

災害公営住宅(復興住宅)

        災害により住宅を失った被災者向で、
   自力ででの住宅再建が難しい住民のために自治体が設置する 公営住宅
 。
   復興公営住宅、災害復興住宅ともいう。
   地方自治体が借り上げや新築により整備を進め、
    被災者に対して安い家賃で貸し出すもので、
   低所得者にはさらに家賃を優遇するなどの措置も盛り込まれている。
   
   1995年(平成7)1月の 阪神 ・淡路大震災で兵庫県や神戸市などが国の支援をもとに
   大規模に復興住宅を整備したのが始まり。
   また、2011年(平成23)3月の東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の3県では、
   仮設住宅 に住む住民向けに復興住宅を3万戸建設した。

 建設費の補助
  一般的な公営住宅………国からの補助1/2 地方自治体1/2
  災害公営住宅       〃     2/3         〃    1/3
           また、激甚災害に指定された場合は、国3/4 
地方自治体1/4


借り上げ復興住宅と問題点
 阪神淡路大震災の当時、仮設住宅等の建設用地やその費用などが計画通りに確保できず、
民間事業者などが所有するマンションなどを県や市が借り上げる形で、
住居を失った被災者に供給した。
 これを「借り上げ方式」といい、全国で初めて導入された。
 この「借り上げ方式」には大きな問題があった。
 賃貸期間20年という期限付き貸借という決まりです。
 この期限切れは2015年から始まり、今年、2023年には、全ての「借り上げ復興住宅」が
 期間満了ということになります。
 県や市は20年の貸借期間満了を迎えた住宅から順に、入居者の退去を勧告し、
 別の公営住宅への転居をあっせんしている。
 借り上げにかかる経費の負担を軽減したいという行政の思惑があるのでしょうか。

朝日新聞シリーズ記事『老いる復興住宅』から
 避難所と仮設住宅を経て、市営復興住宅で20年を暮らし今年87歳になるSさんは、
住み慣れた住宅を退去することになった。5年前のことだ。
兵庫県と6市は震災当時の住宅不足の時、民間や都市再生機構から約8千戸をかり、復興住宅とした。いわゆる、「借り上げ復興住宅」だ。家を失い、住むところのない被災者にとってはありがたい施策だった。

 だが、ここにきて20年契約の期間切れは、辛い。
住み慣れた場所は仮の住まいとはいえ、支えあってきた隣人が一人二人と姿を消していき、
寂しさや取り残され感をぬぐいようもない。
被災者の声が聞こえてくる。
「期限があるとは知らなかった」
「気力も体力もない。医者へ行くため生きているようなもんや」

 自治体の対応も分かれている。
宝塚市、伊丹市は全員の入居継続を認めたが、
神戸市と西宮市は期限を迎えた入居者計19世帯を提訴、
全員が退去を余儀なくされた。
「20年経ってなんでやと、納得できんかった」(敗訴した70代男性)

 神戸市が提訴したのは、「退去に応じた人との不公平を生じさせないため」と説明しているが、
何とも温かみのない紋切り型の説明だ。
明記された文言でけりをつけ、一件落着を計る姿勢に
行政の責任で被災者の「生きる道」を支えるという姿勢に欠けるのではないかと思う。
 健康な生活を営む条件は、住環境や人間関係がありコミュニティが存在することだ。
単に転居先が見つかればよいという問題ではない。
孤立した生活環境で暮らすことは、とくに高齢者にとっては辛い。

 今後、借り上げ復興住宅は
  能登半島地震(07年)で、石川県穴水町が12戸
  東日本大震災(11年)で宮城県石巻市が222戸を整備契約期間を迎えることになる。
  行政の温かい対応を期待したい。


(昨日の風 今日の風№136)         (2023.01.29記)

 

 

 

 

 

 

 


  



 
 
 
 
 

 

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寒波襲来  雪の朝

2023-01-26 06:30:00 | 季節の香り

寒波襲来 雪の朝
   日本付近の上空には、10年に一度といわれる寒波が、24~25日にかけて
  訪れるようです。天気予報では日本海側だけでなく、、太平洋側でも所によって
  は大雪になり、警戒が必要と報じられています。
   太平洋側の私のところでは、夕方から22時頃に雪がちらつくようでこれが初雪
  になるのでしょう。

 雪の朝二の字二の字の下駄の跡 ………  田捨女(江戸時代の歌人・尼僧)
  とてもわかりやすい句です。
 夜のうちに降った雪がすがすがしい朝を演出しています。
 その白銀の景色の中を誰か早起きの人がいて、雪の中に「二の字二の字」の下駄の跡が続いています。単純明快に、雪の朝の小さな感動を詠った良い句ですが、「田捨女」の
作というのは成立年代から考えて無理なようです。捨女が6歳の時の句とされていますが、
幼女にこの句が詠めるでしょうか。
 (兵庫県柏原町陣屋跡に建つ田捨女像・ウィキペディアより)
田捨女(でんすてじょ) 1634(寛永11)年-1698(元禄11) 名前は田 ステといい、「女」は女流歌人の名に添える接尾辞。
 捨女は、42歳で夫を失ったあと、夫の菩提をとむらうため、
 庵を構えて3年間も念仏行に明け暮れた。
 日数にすれば、およそ千日の念仏行であった。
 その後、出家し
名僧の盤珪禅師を生涯の師として仰ぎ、不徹庵を結んで仏道に生きた。
 興味をそそられるのは盤珪との関係だ。
 捨女に詳しい俳人坪内氏は「もしかしたら、捨女は盤珪を恋人のように慕ったのではない
 か」と言う。夫を深く愛したであろう捨女が、のちに盤珪に恋心を寄せたとすれば、
 凛(りん)とした品格を感じさせる捨女像が怪しい光彩をも放ってくる。
                                       
(丹波新聞2006.12.27より要点引用) 

雪三題                          

降る雪や明治は遠くなりにけり   中村草田男(なかむら くさたお)

限りなく降る雪何をもたらすや      西東三鬼(さいとう さんき) 

灯を消して障子にはかに雪明り                  上村占魚(うえむら せんぎょ)

わが町の天気予報は
 明日は寒いけれど快晴です。
         (季節の香り№39)                  (2023.01.24記)



  

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話題の新星 陸上ドルーリー選手

2023-01-20 06:30:00 | つれづれに……

話題の新星 陸上ドルーリー選手

 (第三区を走るドルーリー選手)

  

  ストライドがいい。
  何よりも頭のてっぺんから体幹を貫き通す一本の線のように重心がぶれない。
  だから、フォームが美しく、前にまえにと体が飛んでいく。
  スタンスが広く、後ろ悪は体幹を前面に押し出すようにまっすぐに伸びている。
  前にけりだした足の高さもよく、体が飛ぶように移動していく。
  腕の振りもよく、脇の甘さもない。
  
  
ドルーリーは38位でタスキを受けると、最初の1キロを2分55秒で通過。
  速い。
  次々に競争相手を抜き、17人抜きの快走で順位を21位に押し上げた。
  従来の区間記録(9分10秒)を上回る9分2秒の好タイムで4区の選手にタスキをつなぐ。
  大きい舞台での駅伝は初めてだったけど、楽しかったです」と余裕の笑顔を見せた。

  スタートから勢いよく飛び出し、わずか200メートルで3人抜き。
  呼吸は乱れず、力強い腕の振り、大きなストライド。
  身長157センチとは思えない力強い走りだ。
  17人をごぼう抜きして、一陣のさわやかな風を巻き起こし
  全国舞台の駅伝は初めての快走に、早くも15歳の原石に、
  成長を重ねれば20歳で迎える28年ロス五輪への期待も見えてくる。

  2023年1月15日、第41回全国都道府県対抗女子駅伝は9区間42・195キロで争われ、
  今年は大阪が優勝を飾った。

  しかし、翌日の新聞各社は大阪の優勝を完全に食う形で、
  ドルーリー選手の快挙を一斉に報じた。
  3区3キロを走ったドルーリー朱瑛里(岡山・鶴山中)中学3年生が素晴らしい記録をた   たき出した。9分2秒の区間新だ。
  区間新もさることながら、彼女の競技環境に誰もが驚く。
  大勢の部員が監督やコーチのもとで、
  科学的なで合理的な競技練習を展開する環境が一般的なイメージだ。

  岡山県津山市立中学校3年生陸上部。部員数は各学年ごとに1人の合計三人。
  だから、単独の駅伝チームを組めず、
  昨年の春まではタスキの渡し方すら知らなかったという。 
  恵まれた環境ではない。
  指導者がいなければ自分で工夫する。
  体の調子を見つめながら、インターネットで調べた練習メニューを実践。
  自分流に組み立てる。
  カナダ人の父と日本人の母を持つ。
  小学4年で地元の津山ジュニア陸上競技教室で練習を始め、
  小学6年までは陸上と並行してバスケットボールにも親しんだという。
  走るのが「走るのが好きだった」彼女には、恵まれた天性の才能がある。
  
  競技歴
   2022年の全国中学校体育大会女子1500メートルで4分23秒79を出して優勝。
   2位に5秒以上の差をつける独走Vだった。
   同年2か月後、U16陸上大会女子1000メートルは2分45秒84で優勝(大会新)。

      絵を描くことが趣味で、岡山県内のコンクールで入賞したこともある。

   前に人が見えると闘志をみなぎらせる負けん気の強さが、
   競技にもプラス作用をしているのかもしれない。
    
   真面目で、何事も吸収する聡明さがあり、栄養面なども自分で積極的に調べて行動できるそうで
   す。知性を走りに生かせるのは強みですね。トラック種目のレースを見ても、高校生や実業団選
   手を引き連れて先頭で走る度胸もある。(福祉加代子)


          今年の春は高校一年生。 
          すでに、水面下では激しい磨けば光る原石の争奪戦が始まっているのだろう。
   彼女を獲得する関係者よ、どうかこの逸材の芽をつぶさぬように温かく見守り
   大切に育ててほしい。

  (つれづれに…№135)       (2023.01.13記)
   
   
  

   

 

 

 

 
 
 
 
 

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成人の日 はなむけの言葉

2023-01-14 06:30:00 | つれづれに……

成人の日 はなむけの言葉
 
8日、国道で見た風景
  国道の横断歩道を渡り終えた私の後ろで、信号が青に変わり車が一斉に走り出す。
  車の騒音が高くなった。
  マフラーの破れた爆発音が高くなり、耳を覆うばかりの音。
  爆音と共に奇声を発する2台のオートバイ。
  どちらも二人乗りだ。
  白い羽織袴に身を包み、これは和製の特攻服というイメージである。
  爆音をまき散らし国道を我が物顔に、
  戦場で足軽が背中に背負うような旗を振り回して、
  車を縫うようにジグザク走行して追い越し、去っていった。
  午後に開催される市主催の「成人の集い」に参加する新成人だ。
  未来を担う若者の姿としては何ともおぞましく、情けない新成人の姿だった。

  一方、この日を真摯に受け止め、誓いを新たにする新成人が大勢いることも確かだ。
  60年前、田舎から東京に出てきた私は、帰省するのも面倒で成人式に参加しなかった。
  洋服を新調するでもなく、下宿先の部屋で本を読みながら、
  普段と変わらない一日を過ごした。
  翌日、当時流行っていたロストジェネレーションの一人と言われていたヘミングウェイ
  の全集を購入した。
  
青春の入り口に立った私の懐かしい思い出だ。

 伊集院静のはなむけの言葉
  水のようにまぶしい君になれ
    新成人おめでとう。
    今日から大人だと言われても、自分のどこが? 何が大人なの
              かわからないだろうネ。私たちも皆同じだった。懸命に生きる
    うちに大人になった。大人なりの考えも身についた。
    自分だけがイイのはダメだ。働くにしても、歩くにしても、自
    分だけがラクするのはダメだ。金を得ることだけが目的なら、
    早々自分を失うものだ。その仕事は誰かのために汗を流してい
    るか。さうして共に笑える日が見えるか?
    去年んの春から大人は十八歳になった。なぜ急にふたつも若く
    なったのか? それは信頼できる、可能性を信じて生きている
    大人を一人でも増やしたいからだ。
    この国はアジアの中で、いや世界の中で、美しい水に満ち、美
    味しい水にあふれ、素晴らしい自然に恵まれている。その国の
    上を平然と兵器が飛ぶことを許してはいけないのだ。断じて許
    さない。そういう大人になろう。誇りを捨てるな。
    今までの大人のやり方ではダメなんだ。
    さあ立ち上がろう。新しい日本人になるために。苦しくともと
    もに歩き出そう。立ちはだかる山も、挑めば必ず光が差す道は
    見えてくる。美しい一本の渓流が乾いたのどを潤してくれる。
    いつか命の水を育て、乾杯しよう。その日まで君たち新しい大
    人を私たちは応援し続けるから。

 気張らずに、難しいことをいうわけでもなく、淡々と新成人に語り掛ける雰囲気がいい。
 さて、これはある会社のイメージ広告のキャッチコピーです。
  この文章の欄外に活字体で印字された文字は、
 『水と生きる SUNTORY』とあり、ウイスキーのサントリーのイメージ広告かと知れば、
 文中の水へのこだわりも納得がいく。

 新成人よ、自分の頭で考え、自分の足で行く先を決め、自分の手で
 自分の未来をつかんでほしい。
 『寄らば大樹の陰』みたいな、安易な人生は歩んでほしくない。
 もっとも、大樹の陰で生きるのも、競争のつばぜり合いや理不尽な要求などもあり、
 神経をすり減らし安穏な場所ではないことを知ってほしい。
 あなたたちが歩んでいく未来は、
 戦いのための日常ではなく、
 自分のための、そして隣人のための豊かな日常であることを祈念します。

     (つれづれに…№135)         (2023.01.13記)

 

     

  

 

 

 

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頌 春 戦争で解決するものなんて何もない

2023-01-04 06:30:00 | つれづれに……

    頌 春
  戦争で解決するものなんて何もない
         年頭に思うこと

     
 ノーベル文学賞作家のアレクシェービッチはウクライナ侵攻が始まったとき
「人間から獣がはい出している」と言いました。
 弱者への殺害、拷問、性的暴行が繰り返し行われたことを「獣」と表現しました。

 かつて第二次大戦でドイツ軍がベラルーシに攻めてきたとき、
彼女は「ボタン穴から見た戦争」という本で次のように書いています。
空爆が始まり、皆が走って逃げていきます。爆弾が飛んで空中でヒューとなったり、
頭上で爆弾が破裂したりします。
 地面に臥せた10歳になる少女は頭からオーバーをかぶり、
小さなボタン穴から、爆弾の降って来る外の世界を恐る恐る眺めます。
学校が燃えている。窓という窓が炎に包まれている。
空襲が終わって少女が地面から起き上がっても、隣に倒れている人は起き上がりませんでした。
 「この子たちを連れていってください。私たちは街を守ります」通る車に向かって母は叫びました。

戦争で解決するものなんて、何もない。
例え平和が訪れても、私たちはあまりにも大きな犠牲を払ったことを後悔する。
大切なものを奪われ悲しみや憎しみだけが残ります。
勝者も敗者も何ひとつとして得るものはない。
私たちの社会は平安のなかに安らぎを求め、
その上に愛情や慈しみという自分以外への関心を注ぐことができるようになった。
情愛を注ぐという人間独特の感情が、
文明を生み文化を育ててきた。
戦争は次世代への遺産をことごとく破壊してしまう。
そして、最大の犠牲者はいつも弱者だ。

 ウクライナ侵攻で展開されていることは、
人間性への破壊と、
人間同士の信頼関係を破壊することだ。
現実的には、第二次大戦後の世界で構築してきた安全保障の信頼性を揺さぶり、
世界の秩序を分断する愚かな行為だ。
だが、
人間には困難を乗り越え、
より良い方向へ進んで行く「英知」がある。
「こころ」が育んできた「英知」を私は信じたい。 

     (つれづれに……№133)                 (2023.01.03記)

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読書案内「落花は枝に還らずとも」 ② 争乱の時代を生きた会津藩士・秋月悌次郎

2022-12-29 06:30:00 | 読書案内

読書案内「落花は枝に還らずとも」
        ② 争乱の時代を生きた会津藩士・秋月悌次郎
                                                         ブックデーター: 中村彰彦著 中央公論新社 (上 下) 2004.12初版
               中公文庫あり                                         

  『落花は枝に還らず、破鏡はふたたび照らさず』
 この本のテーマとなる諺(ことわざ)。落ちた花は元の枝には帰らないように、
破れた鏡もまたもとのように輝くことはない、という意味で、『覆水盆に還らず』と同じような意味。
破綻したものは再び元には戻らないという。
だから、人や家族友人などは、大切にしたいという戒めにもなる。
 小説ではこの諺にひとひねりのスパイスを効かせている。
 落ちた花は二度と同じ枝に花を咲かすことはできないが、次の春に咲くための種(たね)となることはできる。会津藩士・秋月悌次郎の生き方を暗示する題名だ。

 会津藩の外交官秋月悌次郎からみた幕末史を丁寧に綴った歴史小説。
 会津と薩摩の経緯、長州藩との軋轢、尊皇佐幕から公武合体を経て攘夷倒幕になだれてゆく政情、
 累卵の京都で弱腰の十五代将軍・徳川慶喜。
  孝明天皇の信頼を得ていた尊皇会津藩が幕府と朝廷の軋轢に翻弄されてゆくさまが、
 当時の資料を駆使くし、丁寧に描かれていく。
 戊辰戦争に敗れ斗南藩に追い立てられていく過程で、
 敗者として生きた秋月悌次郎のことはあまり知られていない。

  同じ幕末を描く場合、時代小説と歴史小説があり、前者は作者のイメージを膨らませ、
 作者の想像力を駆使くして歴史の中で活躍した人物を描く。かくして、坂本龍馬、近藤勇、
 土方歳三など時代の中で活躍した歴史上の人物が描かれるが、
 それは、司馬遼太郎の坂本龍馬であり、海音寺潮五郎の近藤勇であり、
 池波正太郎の土方歳三ということになる。
 また、笹沢左保の木枯らし紋次郎や子母沢寛の座頭市物語のように
 架空の人物を創出し活躍させる場合もある。
 多くの読者を楽しませるエンターテインメント小説ともいえよう。
       
  歴史小説は、歴史上の人物が残した資料や書簡、和歌などを駆使くし、
 できるだけ史実に添った人物像を作っていく。
 「落花は帰らずとも」も資料や書簡の挿入が多くなかなか話が先に進まない。
 幕末から明治へかけての秋月悌次郎を中心にした群像劇である。
 
  秋月悌次郎は会津藩校「日新館」に学び、
 天保13
(1842)江戸へ留学し、昌平坂学問所で学び舎長まで務め、「日本一の学生」と謳われた秀才。
 安政6  (1859)年初頭秋月悌次郎に下された藩命は、「中国、四国、九州の諸藩を巡歴のうえ、制度、
     風俗を仔細に視察してこれを奉ずべし」というものであった。(P70)
長く昌平坂学問所の
                  舎長をつとめて西国諸藩の者たちにも顔の広い悌次郎を視察役に大抜擢した。
     幕末の徳川政権が弱まり、攘夷運動の中で勤皇派と佐幕派が対立する京都。
     世情定まらずこの一年後の1860年には水戸脱藩浪士等による「桜田門外の変」等がおこり、
     幕府の威信は急速に落ちていく。
     塁卵の世(不安定で危険な状態の世の中)を乗り切り、
     藩を維持するために視察を放ったのは会津藩だけではない。
     徳川政権が衰えつつある今、勤皇派(後に勤皇討幕派と称される)は、
     京都を制し、禁裏(御所・宮中)を抑えることが時代の流れだった。
 文久2(1862)年 会津藩主・松平容保は京都守護職に任命。
          幕府が新設した京都守護職は、京都御所を警備し、幕府の主導権を確保し、
          幕府の権威を回復するために新設された。
                               容保は再々の守護職辞退にもかかわらず、結果的には対立する藩論をまとめ守護職を
          を拝命する。親藩中で人望があり兵力の充実した会津藩に白羽の矢が当たったのも
          時代の流れなのかもしれない。
          しかし、この時容保は津藩滅亡への道を歩む悲劇の藩主として後世に名を残す
          ことになる。
         秋月悌次郎は、
会津藩が京都守護職に就任すると公用方に任命され在京各藩との
                              周旋に奔走。
                    「同年、八月十八日の政変(七卿落ち)には、藩兵を率い実質的指導者として活躍」
         とあるが、これに関する
政変の中で、悌次郎の名前は出てこない。

  慶応元(1865)年 藩内抗争により公用方の職を解かれ、蝦夷地斜里の代官となる。
          明らかに、遠地への左遷だ。

          時代の流れを牽引していくように薩長同盟が成立、政局の悪化に伴い、
          再び京都に呼び戻される悌次郎。
          大政奉還から王政復古の大号令。鳥羽伏見の敗戦を経て、慶喜に見放された会津藩は
          辛い戊辰戦争へ突入していく。

           再び公用方として戻された悌次郎を待ち受けていたのは、敗戦にいたるまでの屈辱
          の任務だった。逆賊という汚名をそそぐための心血を注いだ藩主容保を救うための
          嘆願書を草記するが、功を奏せず、戦火は会津若松城下まで及ぶ。
          官軍側の圧倒的兵力と戦備に敗戦を余儀なくされる会津藩。

          開城交渉を経て、降伏式采配と苦難の道を行く悌次郎。
          謹慎中の会津藩主の助命嘆願のため、奥平謙輔に会いに越後に行く、
          この旅路の帰路で詠んだ詩文「北越潜行の詩」が、今の世に伝わる。
          「賊徒として討たれ会津人の胸のうちを切々と詠んだ詩文であった」
          と作者は記している。
 
北越潜行之歌

有故潜行北越帰途所得   故ありて北越に潜行し帰途得る所
行無輿兮帰無家     行くところもなく 帰る家もない
国破孤城乱雀鴉     国破れて荒れ果てた城には 雀鴉(じゃくあ=野鳥)たちが乱れ飛んでいる
治不奏功戦無略 微臣有罪複何嗟 (略)
聞説天皇元聖明  我公貫日発至誠  (略)
恩賜赦書応非遠  幾度額手望京城  (略)
思之思之夕達晨     あれやこれやと思い惑っていると日が暮れ 朝を迎えてしまう
愁満胸臆涙沾巾     愁いは胸中に溢れて 涙がほほを伝う 
風淅瀝兮雲惨澹     風は淅瀝(せきれき=荒涼)として 惨澹(さんたん)として暗雲が立ち込める
何地置君又置親     藩主や親たちが安心して住める場所は どこにあるのだろう
                                    (意訳・雨あがり)

   その後の秋月悌次郎
     会津藩敗走後に秋月は終身禁錮に処せられるが特赦を受けたが、
     維新後に表舞台に立つことはなかった。
     1882年に59歳で東京大学予備門教諭に就き、
     さらに1890年には熊本の第五高等学校教諭に指名されている。
     熊本五高で彼は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と出会い、
     「神のような人」と賞賛されている。

     会津藩は敗者となり、愚直に生きようとした会津藩士のなかで、
     身を呈して時代の波を乗り切ろうとした秋月悌次郎は、忘れられていく。

     一度枝を離れた落花は、その枝に還って咲くことは二度とできないけれど、
     来春咲く花の種にはなれる。秋月は維新後の余生を教育に捧げ、
     七十七歳のいのちを全うした。
    晩年の秋月悌次郎  「北越潜行の詩」詩碑  

     最後の数行を作者・中村彰彦は次のように結ぶ。

     その遺徳を慕う人々は、今日なお少なくない。平成二年(1990)十月には会津若松市民を中心に
     三百八十万円の寄付金が集められ、旧鶴ヶ城三の丸跡に詩碑が建立されて幕末維新の逆境によ
     く堪えた胤永(かずひさ)の思いを長く後世に伝えることになった。
     そこに刻まれたのはいうまでもなく、

     「行くに輿なく帰るに家無し/国破れて孤城雀鴉乱る」
     とはじまる絶唱「北越潜行の詩」であった。
                                    ※(秋月悌次郎は 明治維新後に胤永と名のる)
   エピソード 菅原文太と秋月悌次郎
     七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち

     「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
     「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。
     一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。
     もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、
     荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。
     すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、
     
これらを願い続けているだろうと思います。
     恩義ある方々に、何の別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます。
      菅原文太さん81歳で死去 妻・文子さんが「小さな種をまいてさりました」というコメントの全文。文太氏は2014年11月に
        逝去。その時のコメント。
        (読書案内№188)         (2022.12.28記)




 

 

 

 

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読書案内「落花は枝に還らずとも」会津藩士・秋月悌次郎 ①幕末の時代背景

2022-12-18 06:30:00 | 読書案内

読書案内「落花は枝に還らずとも」会津藩士・秋月悌次郎
   ブックデーター: 中村彰彦著 中央公論新社 (上 下) 2004.12初版
          中公文庫あり

 ① 会津藩士、秋月悌次郎が生きた幕末の時代背景

 歴史はいつの時代でも勝者によって書き換えられ、敗者の記録は歴史の時のなかに埋もれて
消えていく。敗者の多くは命を失い、あるいは逃亡の末歴史の表舞台から抹消される。

 尊王攘夷思想のさきがけとなり、
時代の先鋒を牽引するかに見えた徳川斉昭の水戸藩は、
内部紛争と殺戮を繰り返すうちに多くの人材を失い、
時代はいつの間にか薩摩・長州が率いる尊王討幕の大きなうねりの波に飲み込まれてしまう。
水戸藩の第九代藩主・徳川斉昭の七男で一橋慶喜が15代将軍となるが、
傾いた幕府の屋台骨を立て直すには、
時代を襲った改革の波音は大きく、
慶喜は江戸幕府最後の将軍という敗者の汚名を着せられ、
歴史の舞台裏へ消えていく。

 かつて、会沢正志斎や藤田東湖を輩出し時代を先駆けた水戸藩はただ一藩、
江戸定府の藩として参勤交代を免除され、
有事の際には将軍名代の役目を担う御三家の一つでありながら、
明治時代を築いた新政府で活躍する人物を見出せなかった。
水戸徳川家も歴史に翻弄された敗者だった。

       『将門記』『平家物語』は歴史書ではなく、軍記物語である。平将門についての歴史的資料は
       ほとんどなく、「将門記」を唯一の資料となる。
  『吾妻鑑』 : 鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から六代将軍・宗尊親王までの6代将軍記として、
          幕府の歴史を編年体で記録する。編纂者は幕府中枢の複数の者と見られているが、
          詳細は不明。
  『信長公記』: 太田牛一による織田信長の一代軍記。『信長公記』は、
         この太田牛一(織田信長の弓衆のひとり)がその時々につけていた日記をもとにして
         後年著述したものとされる。
  『徳川実記』:   江戸後期の史書で全516冊。 家康から家治に至る徳川家10代の歴史。
         大学頭林述斎等のもとに1809年―1849年に撰修。 将軍ごとに年月を追い事績を叙述。
         11代将軍家斉以降の記録は『続徳川実記』にあるが、未完のまま明治維新を迎えてし
         まう。

    などなど、勝者の歴史は後世まで残され、歴史の表舞台を飾るが、
    敗者の歴史は日陰に咲くあだ花になって、なかなか脚光を浴びられない。

    だが、歴史のなかで、活躍した人は勝者や敗者だけではない。
    名もなく、文字も残さず、歴史に影さえ落とさなかった多くの庶民が時代を作り、
    文化を作って来たのだ。
    そうした名もない人々の生活を掘り起こし、甦らせるのが
    研究者や小説家であり、歴史家、
郷土史家なのでしょう。

   次回、②「争乱の時代を生きた・秋月悌次郎」

     (読書案内№187)              (2022.12.17記)
                                 
         


 

 

 

 

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